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地方に足りないのは「仕事」だけ

数年後には「足りなかった」になるかもしれない。

11年前、32歳の自分は無職だった。

愛媛県大洲市にある実家で病気療養をしていた。精神的に病んでいて、医者から就職活動を止められていた。

一年にわたる療養のあと、医者から就業許可が出て、再就職活動を始めた。

しかし愛媛県には転職市場というものがない。となると必然的にハローワークで探すことになる。

ハローワークにはそもそもIT企業がほとんどない。あったとしても年収300万くらいの零細企業がほとんどだ。そんな企業に応募しても落ちる。それが当時の自分だった。

そんな中、一つの会社が目に止まった。病気療養する前に勤めていた首都圏の大手SIer企業と比べても遜色ない年収。しかし社員数は10名ほど。求人票を見ても、ホームページを見てもよく分からない。

怪しい。しかしこの年収は魅力的だ。その会社に応募した。受かった。

入ってみて気づいた。求人票が怪しかったのは、求人慣れしてないからだ。年収が高かったのは、自社開発だったからだ。正確にはSIerの二次請けだが、それでも開発は自社で主導権を持って行えるので、やりやすい方だった。

それから10年近く、その会社で働いた。

最終的にはSIer業界特有の「歪み」が嫌になって退社することになったが、それでもSIer業界では良い方には違いない。

生活はどうか。

10年以上松山にいるが、そんなに不便さを感じたことはない。地元に十分美味しいものがあるし、だいたいのものはネットで買える。

Apple Storeがないとか、イベントが少ないとか、不便さを感じなくもない。ただ、これを満員電車での通勤と引き換えにしたいかと言われると、明らかにノーである。

自分が地方での生活に満足しているのは、仕事に満足しているからだ。前職はSIerだったが、経験が積めて十分な収入が得られていた。現職は同じく収入も十分で、何よりモダンな環境で開発できる。

しかし転職してきた同僚の話を聞くと、自分はかなり恵まれた方だ。優秀な人にも関わらず、仕事の内容も、年収も信じられないほど悪い人が多い。

東京はやりがいのある仕事、高い年収の仕事を独占することにより人を集めていたのだ。

しかし今後はそれが許されなくなる。

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