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メディア芸術祭25周年企画展で再認識したアーカイブの価値と、欠落への懸念

文化庁メディア芸術祭25周年企画展を観に行ってきました。このあいだ、いく前に以下のような記事を書いていました。ざっくりいうと、終わっちゃうの急だし、鑑賞者としても、勿体無いなぁ。みたいなことです。観る前に書いていたのは観る前の自分が思っていることはそれはそれとしてあり、しかしきっと観た後にはそれは変化しているだろうから、その時点での自分を記録しておこうと思っから、ですね。

知ってしまうことは死んでしまうこと

何かの本に書いてあったきがしますが(養老孟司氏の本?)、人間は何かを知ってしまうと知らなかった自分は死んでしまう。もう知らなかった自分には戻れないのだと。

何かを知ったらちょっとは何か変化するんだからそれはそうじゃん?わざわざそんな大袈裟な言い方をしなくてもいいのに?と思う向きもあるかもしれません。しかしニュアンスとしては、知るということは普段思っている以上に大きな変化であり、しかも非可逆であり、かつ「死」という不吉な比喩を用いていることが示すようにそれは必ずしも良いことばかりをもたらすわけではない、その毒についても考えた上で知らなくては行けない。しかし毒があるとわかった上でもやはり知らないよりは知る自分でありたい。みたいな話だったように記憶しています。とはいえかなり前の記憶なので全然違うかもしれません。

なんだか話が飛んでしまったので戻します。

新しい祭典へ

前のテキストの要旨としては以下のようなものだったと思います。終わってしまうこと、終わってしまうことが急だったこと、終わってしまう理由が不明確なこと。複雑な思いを抱いている人は少なからずいて、それらの人に一体何を伝えたいのか、ということかもしれません。そしてそのような思いはきっと展示を観に行ったら何か変わるだろうという思いを抱いて足を運びました。

今後、文化庁においては文化庁メディア芸術祭の25年間の成果や実績を生かし、人材育成やアーカイブ等の取り組みを進めるとともに、我が国のメディア芸術のグローバルな評価を高めていくことに資する、新たな国際的な祭典に向けた準備を進めるなど、我が国のメディア芸術のさらなる振興を図ってまいります。

入ってすぐ、受付の左手にあった「ご来場の皆様へ」というパネルの中の一文です。

今まで開示された情報だと少なくとも私は「過去作品をいかしてアピールしていくよ」「アーカイブに力を入れるよ」「育成するよ」みたいなことしか得られていなかったので、今回の展示に足を運んで「新たな祭典の準備をしている」という一文を初めて観ました。(念の為言うと、多分どこかには情報は出ていて、僕が知らなかっただけなのでしょう、とは思っています。)

なにぶん大きな組織のやることですので、それが3年後になるのか、10年後になるのか(10年だと遅いと感じますが)分かりませんが、何かしらの祭典に言及されたのはポジティブな材料です。

足を運ぶこと

僕はここに足を運ぶまでこの情報に触れることができていませんでしたし、これはこの展示に関わらず、やっぱり非効率でも、何か現場に行ったりすると別の情報を得られたりするものだなぁ、と改めてしみじみと、強く思ったのでした。

展示雑感

展示全体としては、ボリュームもあり、懐かしさもあり、時代を振り返る面白さもあり。例えば第一回の開催年がエヴァの放映された年だったということは自分は知らなかったこととか。今は亡き今敏監督のサイン色紙があって思いを馳せたこととか。今回は展示台が白ではなく木で作られており、全体として温かな雰囲気の醸成に寄与てしていた印象であったこととか。

昔憧れた、懐かしい作品もあり。実物を見た事なかったものの実物展示もあり。総じてアーカイブの重要性、そしてそれを続けて後から振り返れるようにすることで、俯瞰して診て考えることのできることの重要性、価値を感じました。変化の激しいジャンルで、25年間それをやってきたことには非常に大きな意味があると感じました。

最大風速が出ている今この時代のアーカイブ

一方で、だからこそ思うことがあります。AIがとにかく話題ですね。画像生成、文章生成、その他のさまざまな用途で、今まさに日進月歩の変化が起きています。僕のみてきた中でも、ここまでのスピード感というのは、今までで一番なのではないか、と感じます。1日、1週間経てば目に見えて先に進んでいるということが頻繁に起きている印象です。それらの技術の変化は、まさにメディア芸術祭の扱うジャンルにも、大きな影響を与えたのではないか、与えていくのではないか、と考えます。

であるならば、25年間の中と比べてもおそらく最も変化が激しいと言っても過言ではないこの時期のアーカイブが抜け落ちてしまうのは、アーカイブの価値として非常に勿体無いのではないでしょうか。

ウェブメディアの発表もあったと思うので、1年に1回というアーカイブの速度では追いつかないと考えて、更新性の高いウェブで残すことにしたのかもしれませんね。他だとそういう動きはよくあります。中の人ではないので分かりませんが。

とはいえ、ウェブメディアの栄枯盛衰をみてきて思うのは、それがあるということの良さと、祭典があるということの良さは、また別というか、機能が別なんだよなぁ、とも個人的には思うわけなんですが。

展示の振り返りはここまでです。

タイトルについて

そして完全に余談ですが、本稿のタイトルはまたChatGPTに考えてもらっています。前回は要旨を自分で入力し、それに対してタイトルを出力してもらい、修正を繰り返して選びました。

今回は書いた後に、丸っとChatGPTに食わせて、タイトルを考えてね、と指示をしました。そこからさらに、もう少しこういう感じで…という指示を繰り返し修正していきました。後者の方が圧倒的にいいタイトルが出てくるかというとそうでもない気もします。強調したいポイントとちょっと違うんだよなぁ、という感じで指示を繰り返しました。

しかし今回はそのままだと結局しっくりくるものはなく、語彙や表現を採用しつつ組み合わせたりしました。

でも面白いですね。ツールとしては便利だと感じます。とりあえず触るのが大事。毎日触ってます。

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カバー画像 : https://j-mediaarts.jp/wp-content/uploads/2020/02/og.png


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