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広告クリエイティブは聖書もわかりやすく語れるのか?その76

普段広告のクリエィティブ業をしつつ、プロテスタントの教会でお子様にお話をさせていただいています。その原稿を公開するシリーズ。今日はキリスト教の中でとても有名な人、ステファノさんのお話。最初の殉教者と言われています。英語でスティーブ。殉教ってドラマティックに描くことで教祖になったりするカルトでありがちなパターンではなく、本人が凄いのではなくあくまで聖霊の働きであるところがポイント。


使徒言行録7章51節から60節
51:かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。 52:いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。 53:天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」 54:人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。 55:ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、 56:「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。 57:人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、 58:都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。 59:人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。 60:それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

Copyright: 日本聖書協会


<スティーブさんの殉教> 
今日のお話の主人公はステファノさんのお話です。ステファノ、昔の聖書ではステパノさん、この名前聞いたことありますか?この読み方はギリシャ語の名前だそうです。では英語だとどう読むかというとスティーブ、とかスティーブンだそうです。今日はスティーブの話です。ステファノさんはキリスト教の中ではとても有名な人です。その有名なステファノさんの名前をクリスチャンネームとしてつけ、英語になったのがスティーブとかスティーブンなんです。なぜ有名なのか、なぜならキリスト教での最初の殉教者とされてるんですね、殉(じゅん)という言葉はふだんなかなかみないですがこの漢字だけで何かのために命を失う、捨てるという意味があるそうです。なので職業のために、お仕事のために命を失うときには殉職といいます。警察官の方とか、消防士の方がお仕事中になくなったりすると殉職といわれるんですね。
殉教とは教え、宗教のために命を失う、捨てるということ。ステファノさんがとても有名になったそして世界中の人の名前となった、キリスト教のために命を捨てた、失ったお話が今日のお話です。
 
<ギリシャ語を喋るユダヤ人とぶつかるユダヤ人>
聖霊をもらったお弟子さんたちはどんどん仲間が増えていっていました。そうするといろんな人が集まってきます。そこででてきたのがギリシャ語をしゃべるユダヤ人のグループです。そのグループの人が増えてきたので、そこから代表者を出してギリシャ語を喋るユダヤ人の意見をいいたいということになり、代表者として選ばれたのがステファノさんでした。ステファノさんは論理的に、自信を持って話すことができる人だったそうでお話もとても上手だったようです。
なのでステファノさんのお話が大人気になって、みんなが聞きたい聞きたいってなっていました。それをみていたユダヤ人のあるグループが、ギリシャ語を話すということはやっぱりユダヤ人としては、ちょっと違う人たち、生粋のユダヤ人じゃないということもあって、偉そうに!ってなんたんですね。そこでどんなことをしたかというと、ステファノさんがモーセさんの悪口を言っていた!とか、神殿なんていらない!って言ってた!と裁判所に告げ口したんですね。そしてステファノさんは最高法院という裁判所みたいなとことにつれていかれてしまいました。
 
<天使のような顔で語るステファノ>
つれていかれたステファノさん、普通ならどんな顔になるでしょうか?ビビってしまいますよね。もしくはめっちゃ怒った顔になるか、、、でもステファノさんの顔がどんな顔だったのか、224ページ6章15節「さながら天使の顔のように見えた。」みなさん、天使のような顔、してみてください。そうですね。なんかうっすら笑顔、リラックス、って顔をイメージできますよね。そこから裁判が始まっていきます。大祭司の人が「訴えの通りか?」と聞いたらそこからステファノさんの独壇場、一人舞台、だああああっとお話が始まります。ここ時間があったら読んで欲しいのですが、旧約聖書の歴史、アブラハムさんから始まってイサク、ヤコブ、ヨセフ、そこからモーセさんのお話をずーっと見事にお話していってくれます。旧約聖書のお話を丁寧に、そして正確に、見事にお話をすることでモーセの悪口いってた!律法なんて、神殿なんでいらんのや!とか言ってるって言われたけどそうじゃないねんで!と見事に答えていくわけです。
そしてそのお話は最後の方にステファノさんが言いたかったことがまとめられていきます。

<「心と耳に割礼を受けていない人」でとどめ>
51節「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。」と。これは強烈な言葉です。割礼というのはユダヤ人が体のある部分に傷をつけることで私は神様を信じる人です、と証明するんですが、それだけじゃだめなんだとステファノさんはいっています、心と耳に割礼をうけていない、これは、体に傷をいれたら終わりじゃなくて、ちゃんと心から信じないとだめだよ、ちゃんと耳をつかって聴かないとだめだよ、と言っているわけです。あなたたち自分達が純粋なユダヤ人だと思って、偉そうにしてるけど、本当に神様信じてるって言えないよ?いっつも神様から遣わされた預言者をいじめたり、殺してしまったりしてるやんか、と。本当に神様を信じるって神殿だけで行われるものじゃないんだよ!聖霊っていろんなところで働くもんなんだよ!と強烈にユダヤ人を批判したわけです。預言者をころしてしまうのって本当に律法をまもってるっていえるんですかね?とまで言ってしまいました。

<怒るユダヤ人、天を見つめるステファノ>
それをギリシャ語をしゃべるユダヤ人から言われたもんだから「おまえになにがわかるうううううう」となってめちゃくちゃ怒りました。というのが今日の聖書の最初の箇所54節「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした」とあります。歯ぎしりするほど怒るってどんな感じでしょうか?マンガでいうと「ぐぬぬぬぬ」とか「おのれええええ」みたいな表現になるんじゃないでしょうか。
ステファノさんはそんな空気の中でも相変わらず天使のような顔をして「天を見つめていた」とあります。この言葉、いい言葉だなあと思います。まわりでは怒りが渦巻いているなかで、天を見つめて、安心して生きている。これがまさにキリスト教を信じる人の生き方なんだろうなあと。その後、ステファノさんはエルサレムの都の外に引きずり出されて石をなげつけられたんです。これは裁判でもなんでもないんですね。純粋なユダヤ人のプライドが傷つけられたけしからん!という理由でステファノさんが石をぶつけられていきます。そして石をぶつけられながらステファノさんは「主よわたしの霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに追わせないでください」といって、そして眠りについたとあります。眠りにつく、死んでしまったということなんですね。これがステファノさんの殉教、宗教のためにいのちを捨てる、失う、という出来事でした。

<聖霊とともにイエス様のように生きる>
このステファノさん、ユダヤ人にねたまれて、つかまって、裁判にかけられて、そこでわーっと説教して、そこから殺されるという流れ、イエス様とおんなじ流れなんですね。そしてステファノさんが死ぬ時に言った言葉、「主よわたしの霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに追わせないでください」もほぼイエス様とおんなじ言葉なんです。このお話、ステファノさんって偉い人やななあ、というお話、ではなくてこの聖霊ってすごいなあというお話、聖霊があれば、ステファノさんのような生き方ができる、ということなんです。いやや、死にたくない。と思うと思います。私もそう思うんですが、でも、どんなにひどい状況であったとしても、「天を見つめて」生きていく、そして「主よ、この罪を彼らに追わせないでください」と言って人を許す、そんな生き方ができるようにイエス様はわたしたちに聖霊を与えてくださっているということ、その例としてステファノさんの出来事があったということ。なんかちょっと勇気が出てくる、そんなお話だったと思います。ここでサウロという名前がでてきます。ドラマの最後にチラッとあ、これから重要なキャラクターになるんちゃうか?という感じですよね。58節に。このサウロさんがのちのパウロさんになって、ものすごい働きをしていきます。最初にいったステファノがスティーブだったら、このサウロはポール。名前になるぐらいすごいことをした人ということで覚えておいてください。今日はみんなステファノさんみたいな生き方ができる、そんな力、聖霊のお話でした。おしまい。

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