見出し画像

広告クリエィティブ職は聖書もわかりやすく語れるのか?その66。

普段広告のクリエィティブ業をしつつ、プロテスタントの教会でお子様にお話をさせていただいています。その原稿を公開するシリーズ。
今日はクリスマスのお話。イエス様がなぜベツレヘムで、そして馬小屋で生まれたのか。とても計算された生まれ方をしています。そのことがわたしたちはイエス様を受け入れているのか?を今の私たちに問うています。

ルカによる福音書2章1-7
1:そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2:これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3:人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4:ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5:身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 6:ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 7:初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

Copyright: 日本聖書協会

<ふさわしい生まれ方>
「ふさわしい」という言葉をしってますか? ぴったりとかあってる、ということを表現することばです。あの人は大統領にふさわしい人だ。とか、その仕事はあの人にふさわしい仕事だ。とかそういう時につかいます。
今日の箇所はイエス様がおうまれになった場面です。

どんな産まれ方をしたのか?
まずふさわしい街でうまれました。
もともとお父さんのヨセフさんとマリアさんは、ガリラヤのナザレという村に住んでいたのでナザレで生まれてもおかしくなかったのに、ベツレヘムという村で生まれました。それはなぜか、皇帝の命令で移動していたからだったんですね。皇帝アウグストゥスというとても有名な皇帝がいまして、彼が植民地の人口をしらべろーと命令しました。人口を調べることで税金がどれぐらい集められるかを調べることができたんですね。
その人口を調べるにはどうするか、いまだったら人口というのはそれぞれの市とかでそもそも数えているので人口調査はありません。戸籍というのがあって住民票があって、などなどです。でもこの当時はそうじゃなかったんですね。その家の出身地に戻って登録しないといけなかったそうです。なのでヨセフさんとマリアさんは120キロ離れたベツレヘムにいかなければなりませんでした。あかちゃんがお腹にいる状態で120キロもロバに乗ってえっちらおっちら大変だっと思います。ここから岡山ぐらいまで歩いていくんですよ・・・。とんでもないですよね。

<なぜベツレヘムがふさわしいのか?>
なぜベツレヘムがふさわしいのか?それは旧約聖書、ミカ書5章にこう書いてあるからなんですね。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さきもの、お前の中からわたしのためにイスラエルを治めるものがでる」と。ベツレヘムに住んでいる人の中からイスラエルを治める、王様が生まれるよ、と、支配する人が生まれるよ、と書いてあったんですね。なのでイエス様が生まれるならベツレヘムだったんです。ここで面白いのがローマの皇帝が人口調査をしなかったらヨセフさんはベツレヘムにいかなかったということなんですね。その預言がそのとおりになるためにローマの皇帝が関係しているというのもとても不思議です。その当時皇帝アウグストゥスはとても人気のある皇帝で、アウグストゥスというのは素晴らしい人という意味だったそうです。そしてこのアウグストゥスを神様だーという人もいたそうです。神様はそんな彼をつかってふさわしい産まれ方、ベツレヘムで生まれるという出来事をおこされたんですね。これは神様がこの世のすべてをつくられた存在で、なにもかもを支配されている神様だからできること、なんですね。神様のお導きというのは不思議です。

<ベツレヘムのふさわしい場所>
そしてイエス様はベツレヘムの街のなかでもさらにふさわしい場所でお生まれになります。それが、なんと、馬小屋なんですね。昔はみんなが馬で移動してましたから、いまでいう駐車場でしょうか。ホテルが満杯だったので、なんと駐車場やったら空いてるよということだったそうです。このホテルが満杯だったこと、これもイエスさまにふさわしい出来事。
わたしたち人間が神様の子供をうけいれる場所がなかった、ということなんですね。あたまの中に部屋がない状態。他のことで人間のあたまの中はいっぱいだったということ。イメージでいうとみなさんの頭をコンコンと叩いて、みなさんの頭の中にイエス様が入るところはありますかー?と聞かれている状態。どうですか?みなさんの頭の中、入るところありそうですか?そもそもイエス様が必要かどうか、実はそういうことをわたしたちに問いかけてくるのがこのホテルの部屋が満杯で、馬小屋で生まれることになったという出来事なんです。
そしてイエス様はこの世の中で、受け入れられたかどうか、イエス様は当時のユダヤ人、律法学者から受け入れられずに十字架にかかって死んでしまいます。そのこともこの産まれる場所に現れています。
そしてイエス様は馬小屋のなかの飼い葉桶の中でお生まれになりました。綺麗なベッドに寝ることもできず、本当によわよわしく、準備されていないように見える、いまでいうと段取りがものすごい悪い感じで生まれたんですね。ところがそれがイエス様にふさわしい、とてもデザインされた生まれ方なんです。
 
<人間が考える神の子にふさわしいインパクトと神様が考えるインパクト>
クリスマスは、神様と人間の関係を変えるものすごいインパクトのある出来事、なので教会ではとても大切にお祝いしています。どんなインパクトなのか、神様と人間の関係というのはもともとはとても仲が良かったんですね。でも人間が神様と対等であったりとか神様に感謝をしなくなってということが続いてもういろんな揉め事がばっかり。神様が何をしたか、わたしたちなんてなくなったらええんやーとなって、滅ぼすこともできるんですが、そうしなかったんですね。そこで何をしたかというと、なんと神様の子供を地上にお送りくださったんですね。
すごいことなんだからもっとインパクトがある生まれ方してもよかったんですよね。もっとゴージャスなところに生まれて、ジャーン!この人が神様の子供ですよ!という人間のイメージにあったかたちではなく、神様の考える、救い主、神の子にふさわしく生まれてきたというのがこのクリスマスなんです。

<イエス様を本当に受け入れるとは?>
もういちど人間と神様の関係をつなぎなおす、本来の生き方ができるように、戻してくださるために、イエス様がこの世にいらっしゃった。そして十字架にかかって、なくなって、復活されるのです。その神様から一方的にいただくこのインパクトのあるプレゼント、イエス様をわたしたちはどう受け止めるのでしょうか?

イエス様の今後の人生をあらわすように、宿屋は満杯でした。それは人間はイエス様を歓迎していない、ちゃんと待っていない、必要としていない、ということを表しているとお話しました。さて、みなさんはどうでしょうか?今日みなさんのあたまの中にイエス様がいってくるスペースはありますか?イエス様を必要としていますか?

その当時の人はその意味をわからず必要としないとして十字架にかけてしまいました。わたしたちもついつい、いまは必要ないな、と思ってしまう、それが人間というものなんですね。その状態をかえてくれるのが、この聖書の言葉、そして教会です。じっさい、今日、みなさんは教会きています。ということはみなさんの頭の中にイエス様が泊まっている状態です。素晴らしいですね。でも、明日になったらどうでしょうか?あー、いま満杯なんで馬小屋いってくれへん?って言ってしまうかもしれませんね。

神様と本来あるべき関係を取り戻すために、神様の愛を素直にうけいれる、そのきっかけにこのクリスマスがなることを神様は望んでいます。来週はクリスマスわたしたちの頭の中にその場所を用意して待ちましょう。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?