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【私小説】 悪魔のコミュニティノート

若かった頃の、馬鹿だった頃の、思い出。


「はい。はい。本当ですか?嬉しいです」
今度の日曜日からよろしくお願いします。そう言って、通話を切るボタンを押した。高校生になったらバイトができる。たくさん稼いで、ゲームセンターで使うんだ。そうおもった僕は、ある牛丼チェーンの面接へ行き、無事合格した。

翌日、次の日曜日を待たずに連絡があった。シフト表とかいう紙をくれるらしい。意味はわからなかったが受け取った。とにかく日曜日から、丼を洗って洗って、稼ぐのだ。

「今日からよろしくお願いします!池田です」
店内の隅の、staff Onlyと書かれた扉を開けて自己紹介をした。
「ああ!店長。きましたよ今日からの。池田……」
大学生のアルバイトか。バックヤードの奥の店長に顔を向けていた。奥に、面接をしてくれた女性、佐々木店長がいる。
「池田君、こんにちは。今日は下膳と洗い物だけしてくれたらいいよ。わからないことは、彼に訊いたらいい。ね?大村君」はい!とさっきの青年が続いた。

アルバイトってこんなにきついのか。忙しい時間帯は客がひっきりなしにくる。頭のなかがグルグル回った。また、ピークの時間を過ぎると、嘘のように暇になる。慣れない仕事の疲労が一気に足にかかって、立っているだけでも辛い。緊張したせいかお腹も痛い。もう無理かも……。

「おつかれー!どうだった?」
時間がきてバックヤードに戻ると、体力的に大丈夫だったか?続けられそうか?と心配そうに大村が訊く。もう無理だ、と弱音を吐きそうになったが言葉を飲み込む。
「大丈夫です。がんばれます!」
「そっか。じゃあさ。これ、見てみてよ」
おもむろに汚れた大学ノートを渡してくる。

カレとうまくいかん 木下

あはは、もう別れたら? 土井

今日はマジ忙しかった 辻

コミュニティノートだ。ゲームセンターで見たことがある。その場にいるひとが自由に書ける交流ノート。学生のアルバイトが勝手につくったものだろうか。

「ここにさ、なにか書きなよ!」
大村の手が僕の肩に乗った。書け、と言われても初日だし、一体なにを書いたらいいんだろう。悩んでノートの罫線を眺め続けていた。しばらく経つと私服に着替えた大村が戻ってきた。
「店長巨乳って書いちゃいなよ。その後に池田って」おもわず「え?」と聞き返してしまう。
「いいんだってホラ」大村がノートのページをめくる。指をさす。

店長おっぱい 辻

デカパイ 大村

馬鹿馬鹿しい書き込みがふたつ。そのひとつは、目の前の人物の書き込みだ。初日だけど、もしかしたら書いてもいいのかも。そういうアットホームなバイト先なのだろう。きっと許されるんだ。

店長巨乳 池田

***

その日からすこし経ったアルバイトの日。
「池田くん、ちょっといい?」
バックヤードに入るやいなや、店長に呼ばれた。機嫌がわるそうな声だった。はい、なんでしょうと言い出すぼくにかぶさって
「もう、今日働いたらおわりでいいから。次からこなくっていいから!」

「え?」採用されて、まだ一ヶ月も経っていないのに、まさかのクビ?店長の顔から察するに、クビは間違いなさそうだった。
「え?なんでなんですか?」
ぼくは理由が知りたかった。
「理由なんて聞く必要はないよ。もうこなくていいんだから」
店長が腕を組む。胸が強調される。そうか。あれが駄目だったんだ。打ち解けている他のメンバーならいざ知らず、アルバイト初日の人間が『店長巨乳』なんて書いてしまって。けど、あれは大村先輩が、いや大村がそそのかした結果であって、ぼくの責任ではないはずで。ぼくは被害者だ。説明しなきゃ。

「……あの、あの。巨乳の件ですよね?」

「なにを言ってるの?」
店長はA4の紙を持ち上げて
「池田君。シフト、一緒に確認したよね?出てこれる日。で、印刷もして渡したよね?」
あ、あの名前と曜日と数字が書いてある表の話か、それがどうしたのだろう。
「もうさ。シフトに入っている日にはこないし、きてもトイレに何度も入ってこもっているか、トイレにいかない時もしゃがみこんだりしているって?そんなの、社会では通用しないよ」
あれ?希望を出した日に行けばいいだけじゃないの?トイレは生理現象だ。足は、痛いんだからそれは、仕方がないじゃないか。
このひとは何を言っているんだ。本当は『店長巨乳』に怒っているんだろう。それで糞味噌に言うんだろう。そんなにけなすなら、こちらから辞めてやる。

「ぼく、もう今日も入らなくていいです。帰ります」

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