ダレかの日常と非日常がとけ合う場所。@ハハハホステル
「また会う日まで…!」
次はいつになるか分からないような約束の言葉を交わしたつもりだったのに、その3週間も満たないうちにまた帰ってきてしまった。浦幌に。(はやぁ…)
(また来たやん…と、笑いが止まらないありささんの図)
さすがに爆速カムバックすぎて、自分でも笑ってしまう。おいおい、あの時の瞬間は何だったんだよって(笑)
次の行先までの時間がどうしても埋まらないわたしに、ハハハの人たちは
「またハハハに帰ってヘルパーしちゃえばいいやん?」的な言い方で、わたしに生き延びる道を与えてくれた。ありがたい…。
なんだか申し訳ない気持ちもあったけれど、今回もそのやさしさに甘えることにした。
(”帰る” ってことば、いいなぁ…。)
なんだかジーンとあったまる言葉。
「帰る」って、自分の生まれ育った場所ばかりを連想してしまいやすいから、なんだか不思議な感覚もあるけれど、同時にあたたかさが残る言葉だ。
そんなとき。
ふと、こんなことを思い立った。
密かにそんなことを考えながらまた1ヶ月、過ごしてみたんだ。
誰かの日常と非日常のすきま
これまでいくつかわたしが滞在したことのあるゲストハウスのイメージは「旅の通過点」って感じだった。
日々新しい人の流れの中にあって、
次へ向かう際に身体を休めたりするような通過点。
位置している場所も次へ移動する分岐点に近かったりと、目印となりやすいところが多い気がしている。
それはそれで色んな人の生き方が垣間見れておもしろいんだよね。
だけど一方、ハハハホステルは
「誰かの居場所」や「つながり、交わる」って感じがしっくりと来る。
きっと位置する場所や、作った意図とかが色濃く表れているんだろうな。
ゲストハウスにしろどんなものにしろ、想像している以上に作る場所も、担い手も、想いも「居場所のカタチ」に大きく影響を与えると思っていて。
どこでもいいわけではないし誰でもいいわけでもない。
「場所」という観点からみてみると、正直なところ浦幌町の立地は、移動していると通過しかねない場所でもあると思うんだよね。
何か目的がないと。
わたしも何人か北海道で暮らしている人に浦幌滞在だと伝えた時、
「なかなかニッチな場所へいくねぇ。」といわれることが多かった。
でもそれは一方で、”浦幌に来たい”と思う人が集まるということでもある。
浦幌で暮らす人に会いに来る、みたいな意味合いが濃いという感じかな。
わたしもそうだったようにね。
実際ハハハへ訪れる人をみていても、小松さんやありささん、そして町の人とのつながりで来る人がおおい。
顔の見える存在が浦幌へと人を呼んで
小さく、でもたしかに誰かへと受け渡されるつながりや、居場所がここにはある。
やっぱり、旅での疲れを癒す通過点というよりは、「規模を大きくした家」みたいな機能を果たしているというのが自分の中でしっくりと来るな。
もちろん、わざわざ浦幌町に足を運ばないと感じられない旅行のような特別感は、非日常を生み出すこともたしかだ。
だけどここはそれだけではなくて、町のダレかの日常の一部と共存している。
そんな日常と非日常を行き来するような機能を持っているから、私はステキな場所だと思うんだ。
ゲストハウスが生み出す匿名性
ちょっと関係のない話になってきてしまうのだけれど、わたしがゲストハウスでいいなと思うところを書いてみちゃおう。
それは、
「自分や相手が何者かという部分が隠れる」というところ。
そこの空間へ入った途端、
その人に貼り付けられたいくつものラベルが剥がされて、一旦白紙に戻る。何者でもなくなる。
そして何者でもない人たちが、名乗らずとも会話を交わすことができる。
わたしも、泊まりに来た方々が「こんな活動をしている方だったの…!?」
なんて後々なることもよくあった。
自動的に平等になるのか、ゲストハウスという場所が、わたしたちの”でこぼことしたモノ”を公平にさせてくれるのか、そこはわからない。
どんな仕事なのか、学歴、セクシュアリティ、人生…
何者なのかの不透明さや、あいまいさは時に大事。
もちろん必要な場面もあるけれど、そのラベルたちは日々わたしたちに重くのしかかっていると思っていて。
そんなことを気にしなくてもいい場所がもっともっと、必要だと思う。
肩書きのようなものや、誰かの噂のような不確かで揺るぎやすいものたちを人の判断材料にするのではなくて、目の前の人とノンフィルターで話し、つながることができればな。
そう。
ゲストハウスはそのような”何者かを覆い隠す可能性のある場所”でもあるんじゃないかと思っている。
人を”その人として”みれる場所を模索しているから、そんな鎧の落とせる場所になんだか希望を感じた私だった。
ただいま、おかえりの場所に
わたしから見たハハハの場所のカタチは
先に述べたように、日常と非日常を行き交うもの。
泊まりに来る人にとっては、特別感のある空間かもしれないけれど、出かけて帰ってきた時には「おかえりなさい」と、同時に日常にありふれた言葉を受け取れてしまう場所でもある。
“ただいま おかえり いってらっしゃい おやすみなさい”
私にとって、家や身近な人とだけに交わされると思っていた日常のことばたちが、ゆかりのない場所で交わせる。
ちょっとした温もりのある言葉が言えたり、受け取れたりできる場所は、一時的でも心の温度を上げられる気がするんだよなぁ。
家だけではなく、そういう場所をもっと多くの人が得られて、「独りじゃないよ大丈夫」って思える場所だったり、大切にされているとわかる場所だったり。ときには逃げ込めるところであってもいい。
そのような温度感を受け取れたり、これからも浦幌の日常が、誰かのひとときを包んでいく可能性が秘められている場所だとも今回の滞在で感じ取った。
少し長居してしまったわけではあったけれど、私の中でも「ただいま」といえる場所へと確実に変化している。
これからも、浦幌の希望が味わえる場所へとなりますように。
さ、いってきます。またね。
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