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思い切って旅に出て、本当に良かった。“育休キャラバン”をオススメしたい5つの理由。【旅のあれこれ2】

100日間・日本一周キャンピングカーの旅も、早くもターニングポイント。”濃密な親子の時間を過ごす”ことを第一の目的にはじまった育休キャラバンの計画だったけれど、正直、旅立つまでは相当の準備と覚悟が必要だった。特に主人は仕事の調整にかなりの労力を使ったはず。感謝してもしきれない気持ち。

でも旅立ちから50日ほど経った今、改めて思う。思い切って旅に出て本当に良かった、と。今日はその理由を、5つに絞ってご紹介したいと思う。

1:子どもの成長一つひとつを見守ることができる

まずはなんと言ってもこれ。食事も遊びも移動もひっくるめて、嫌でも24時間一緒にいるキャンピングカーでの旅の中では、幾度となく子どもの成長を実感する場面に出会う。

0歳児の息子は、旅立ちのときは生後6ヶ月。ごろん、と横になって、寝返りが上手になったね、という段階だった。でも8ヶ月半の今は、つかまり立ちとつたい歩きに夢中。その過程でずりばいを覚え、どんどん高速になり、興味は上へ向かい、ハイハイも少しずつ始めたり。感情の面でも、声を上げて笑う場面が増えたり、ここ2週間ほどは、すっかりママモード。私が抱っこからおろしたり主人に手渡すと、ギャン泣きを繰り返す日々。食への興味も出てきたのかな、と思う場面も。そのひとつひとつを、家族全員で見守り、一喜一憂している。普通に暮らしていたら、絶対に見守れない場面を、娘も含めて全員で共有するなんて、旅じゃないとできないこと。

6歳の娘の心の成長も、すごい。ひとりでお泊りができたりものすごいド根性を見せてくれたり人との交流に積極的になったり、といったことはこれまでの記事でも触れたとおり。それ以外にも、旅立ち前はワガママで完全に我を通そうとするところがあったが、旅路の中で何度か話し合ううちに、少しずつ、自分の気持ちに折り合いをつけて譲ることができるようになってきた。旅では、0歳の息子がいることもあり、家族で協力しなければ前に進めなかったり、どうしても娘にかまってばかりはいられない場面も多くなってくる。そういう雰囲気を察して、自分のことは自分で済ませたり、言われなくても息子の面倒を見ていてくれるような場面も。娘の中の何かが、変わりつつあるのだと感じる。

0歳と6歳。それぞれの一つひとつの成長を、毎日小さなことまで夫婦揃って見つめ、夜な夜な喜び合ったり、語り合ったり。そんな時間が持てるのは、やはり旅ならではだと思う。成長を見つめると、純粋に「すごいなぁ」と、子どもという存在に対する尊敬の念も芽生えてきて、そんな子どもたちと過ごせる人生に感謝の気持ちも溢れてくる。旅が教えてくれた、かけがえのない気持ち。

ちなみに7月後半から、娘はひとりキャンピングカーを降りて、3泊4日のサマーキャンプに参加することになっている。Moriumiusでの経験を経て、「またお泊りしたい。もっと長く行きたい」といい出した娘。プランを探して、今度は年長〜小学校4年生までが参加するキャンプへ。きっと旅に出なかったら、そんなことは言い出さなかったはず。思いがけない心の成長に、驚きとともに感動でさえ覚えている。

2:家族が同じ方向を向くチームになる。

旅と日常の違いは、「旅」というプロジェクト遂行のため、家族が同じ方向を向いて歩んでいることだと思う。「今日はこれをしようか」、「ここに何時に行きたいね」、「どうやったらこの人にも会えるかな」…。日々の計画を娘も含めて話し合い、みんなが気持ちよく過ごせるよう気持ちの接点を探る毎日。

その過程では、当然のごとく、家族のお互いの嫌なところ、弱いところも見えてくる。1ではいいことばかり書いてしまったが、娘のワガママな言動に「もう無理!」って思ったことは何度もあるし、主人の忘れっぽさにイラッとしたこともある。私も意地っ張りで頑固なので、何度もみんなに嫌な思いをさせているはず。家族とはいえ、違う人間だから当然といえば当然。でも日常の中で「育児」や「夫婦関係」に真正面から向き合い続けてしまうのは、正直しんどい。対峙しすぎると、お互いの弱いところを指摘し合ってしまうこともあるし、特に育児は、それが目的になってしまうと行き詰まったり精神的に追い詰められたりしてしまうもの。

でも旅では、思いがけず細い道に入り込んでしまったり、ガソリンスタンドが見つからなかったり、悪天候で予定変更を余儀なくされたり、なにか問題が生じたときに「向き合う」のではなく、運転席と助手席に座っているかのように「同じ方向を向く」ことができる。みんな、「旅を続けたい」という想いは同じ。ならば、自分と相手の違いを認め合い、協力しながら歩んでいくしかない。娘も含めて誰かに「どうにかしよう」という気持ちが芽生え、自然に関係性の修復が始まる。そして困難を乗り越えて豊かな体験をともにしたあとは、達成感に満たされ、家族の団結力も強まっていく。

この過程は、一見困難ではあるけれど、私にとっては、育児そのものと向き合うよりは、精神的に楽だしワクワクする。しかも、「向き合う」だけでは見えてこなかった相手の良さやたくましさを目の当たりにして、家族への尊敬と感謝の気持ちが芽生えてくるのだ。

家族は、人生というプロジェクトをともに遂行していくチーム。旅に出ることは、チームを成長させてくれることだとも感じている。もちろん50日やそこらでは、まだまだ、ではあるけれど。

3:家族全員で暮らしをつくる。

暮らすように旅する、育休キャラバン。キャンプではパパがテント張って、子どもたちもお料理を手伝い…と、家族全員で暮らしをつくることに参加するようになるが、それはキャンピングカーの旅でも同じ。特に、狭い車内で日常の営みが鮮明に可視化されることで、家族一人ひとりの暮らしに対する解像度が上がり、それが参加意識につながっていく。

たとえば、主人は旅立ちからしばらくして、「片付けたい!」と言い出した。家では一度も(と言ったら語弊があるかな…)聞いたことのない台詞。狭い車内で、汚れや散らかっていることが気になってきたのだろう。自ら動き、掃除や片づけを始め、どうしたら片付くかを一緒に考えてくれて、今ではそれが習慣化してきている。ときには朝ごはんをつくってくれるようになったし、車内の匂いが気になるらしく、ゴミ捨てにもかなり積極的だ。

娘も私たちが日々繰り返している家事が気になってきた様子。「お当番にしよう!」と言い出し、“食事係”や“お部屋係”、“たすく係”(息子のお世話)を決めたり、自分でも率先して掃除や片付けをするように。ある日「食器洗い、やってみる?」と誘うと、「やりたい」と。やり方を教えてからは、意気揚々と洗い場に行くようになった。おそらく、日常では娘が幼稚園に行っている間に私が済ませてしまっていることも、旅で、苦労も含めてすべて共有していることがすごく大きいのだと思う。

暮らしのすべてが全員の目の届くところにあることが、家事の共有、分担という思わぬ産物を生み出してくれている。旅が終わっても、きっと続くんだろうな、と母は(願いも込めて)思っている。

また、暮らしに必要な最低限のモノが見えてきたのも、価値ある変化。キャンピングカーとはいえ、持ち運べるものは限られている。旅立ち前は、荷物をいかに減らすか、主人とあれこれ、相当悩んだ。洋服、食器や調理器具、掃除洗濯用具、家電類、薬箱に化粧品…。ありとあらゆるものの「最低限」「最小限」を考え、車に積み込んだ。旅の途中で、買い足したり、あるいは不要だったものも見えてきたりして。50日経った今、「あ、これで暮らせるね」という私たちなりの加減が見えてきた。

夏の洋服あんなに要らないね、フライパンと鍋でここまでできるね、この食器ならこんなふうに併用できる!…などなど。育休キャラバンという小さな暮らしで得た知恵は、今後の暮らしにも生きていくに違いない。まずは断捨離かな。

4:「生かされている」を実感できる。

旅では、多くの出会いがある。特に子どもを連れて旅をしていると、いろいろな場面で人々が声をかけてくださり、そして、助けてくださる。

お風呂の脱衣所で息子の着替えをしていると、「ちょっと抱っこしておいてあげるから、あなた着替えちゃいなさい」なんて声をかけていただいたり。レストランでも、騒ぐ子どもたちをなだめていると、あやしてくださったり、おもちゃやお菓子をくださったり。これからの長い旅路を思って、食料や生活用品の差し入れをいただくことも、しばしば。定休日にもかかわらず、私達の事情を知り泊めてくださったゲストハウスのオーナーさんも。

トイレで、娘が「出ちゃう〜」と言っていたら、行列を先に通してくださったあのおばさま。娘が気に入ったアイスをサービスしてくださった売店のおばあちゃん。狭い道でキャンピングカーを誘導してくださったあのおじちゃん。突然の訪問にもかかわらず、あたたかなお布団を用意してもてなしてくださった知人・友人のみなさん。

これまでの旅路で、既に数えきれないくらいの人々の顔が思い浮かぶし、人から助けていただき、旅が成り立っていることをいつも実感している。人は、ひとりで生きているんじゃない。お互いに助け、助けられ、助け合いの中で生きている。そのことが、旅路の中ではより色濃く感じられるのだ。

息子の「助(たすく)」という名前は、詩人・吉野弘さんのこんな言葉からインスピレーションを受けている。

人間は、その不完全を許容しつつ、愛し合うことです。
不完全であるが故に退け合うのではなく、人間同士が助け合うのです。
他人の行為を軽々しく批判せぬことです。
自分の好悪の感情で、人を批判せぬことです。
善悪のいずれか一方に、その人を押し込めないことです。
(吉野弘さんが詩人になることを決意した時に綴った文章より)

私たち誰もが不完全であること、生かされているということ。だから退け合うのではなく、助け合いの中で生きていくのだということ。それを言葉ではなく、体感の中で理解できるこの旅の日々は、きっと私たち家族の中に「ありがとう」の気持ちとして根付いていくのではないかと思う。

主人とは、いつか「恩返しの旅」をしたいよね、なんてことも話しているし、娘に、私たちの「不完全さ」を感じてもらえているのも、本当に大きいと思う。親も大人も、みんな人間だもの。みんなで助け合って生きていこうね、と。

5:新しい価値観に、家族ごと出会える。

私はライターという仕事をしているので、取材を通して、新しい価値観に出会うことが本当に多い。この世の中には、まだまだ知らない世界があるんだ、人はどこまでも自由になれるんだ、と実感させていただいている。そしてそれが、私自身の価値観にも強く影響し、自分が一番気持ちよくいられる生き方・暮らし方を作り出していくことにもつながっている。なんて幸せな仕事なんだろう、と、いつも思う。

育休キャラバンでは、そういった価値ある体験を、家族全員で共有できる。あの保育園で、福祉施設で、設計事務所で。想いを持って場作りやものづくりに取り組むみなさんの話を聞き、その生き方やあり方に触れて。きっと一人ひとり感じるものは違うと思うけれど、その場を家族みんなで共有することで、一言では言い表せない「あの場」を、その後も共通言語として語り合うことができるようになる。たとえば、「べてるみたいな場」といったように。

いろいろな価値観や生き方があること、幸せのかたちはひとつじゃないってこと、自分の人生は自分の手でつくっていくんだ、ということ。見知らぬ土地での多くの出会いは、それを体感の中で理解し、「じゃあ私たち家族はどうやって生きていくの?」と問うきっかけをつくってくれる。この体感は、私たち家族の根底にずっと残ると思うし、子どもたちのこれからの人生の支えになってくれれば、とも願っている。(0歳の息子はまったく覚えていないだろうけど…。でもいつか、また旅をしようね。)

以上5つのポイントに絞って、育休キャラバンに感じている価値をまとめてみた。といっても、まだまだ旅も半ば。旅を終える頃にはまた違うことを感じているかもしれないが、それもまた放浪の旅の良いところ。とりあえず現段階の想いの記録として、書き残しておきたい。

少しでも心惹かれるものを感じた方がいたら、うれしいな。この夏休み、少しだけ長めに休みを取って、家族で“暮らすような旅”に出かけてみませんか?


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フリーランスライター・エディター、2人の子どものお母さん。人の言葉をありのままに聞くことで本質を見つめるインタビューがライフワーク。現在は主にウェブマガジン「greenz.jp」にて、「ほしい未来」のつくり手のみなさんの言葉を紡いでいます。
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