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「ありがとう」を言いたくない

小6の頃、会ったこともない母の友人からBENTTONのポーチをもらった。正確には、母がポーチを受け取り、それをその日の夕食前に渡されたのである。

箱を開くとBENETTONらしいポップなピンクや黄色が飛び込んできた。私の好みとは程遠くて、しかも知らない人からのもので、本当に申し訳ないけれども「何でこんなものをくれるんだろう?」とがっかりを通り越して若干の怒りまで芽生えていた。

そこに追い打ちをかけるかのように、母から「電話でお礼を言いなさい」の一言。

いやいや、私はポーチが欲しいなんて言ってないし、しかも全く好みじゃないし、そもそも知らない人と話すのは苦手だし。何なん?それ?

と心で思ったものの、当時は母の言いつけを守らないなんてことはありえなくて、ペコペコと頭を下げ1オクターブ高い声で話す母から受話器を取り、自分も精いっぱい明るく振舞って「ありがとうございました」と言った...と思う。たぶん。

もうその人になんて言ったのか、それとも言わなかったのかすら覚えてない、本当は。


なぜこんな憂鬱で朧げな出来事を思い出したかと言うと、「お礼を言ってください」と言われた友人の息子くんが、ふてくされてぼそぼそとした小さな声でお礼を言ったという話を聞いたから。

彼がそんな態度をとった理由は「だって説明ばかりで全然楽しくなかったから(ありがとうという気持ちになれない)」とのことだった。

そんな気持ち私もあったなぁ、と記憶を辿るとBENETTONのポーチに行き着いたわけだ。

だから私はこの息子くんに

「言いたくないときは言わなくていいんだよ!」

と全力で伝えたいのだけれど、その一方でそれを通すととても窮屈でただ生きることすら困難な社会が、彼の周りにも私の周りにもあることも知っている。


「ありがとう」は「有り難う=めったにないこと」


ありがとうは感謝の言葉だ。

感謝の言葉と言うからには「ありがとう」と思ったときに言う言葉であり、それは文字通りめったにないからこそ「有り難う」なはずだった。

それなのに私はいつの間にか人間関係を円滑にするための言葉として使っている。

何かをもらうと「ありがとう」は当たり前。

何かをしてもらって「ありがとう」を言わないのは失礼。

即レスで「ありがとう」と言っておくと、その後もスムーズなコミュニケーションが続く...はず。

だから「有り難い」と思っていなくても、「ありがとう」が滑らかに口から出ていくことを止められない。


言葉は変化する。そんなことは百も承知だし、本当に「有り難い」ときだけに発する言葉ではなくなってしまった「ありがとう」は全くのウソというわけではない。

けれども「私は『有り難う』と本当に思っているのかな?」と思わずにはいられない。



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うれしいな。幸せってこういうことだね。
コミュニティづくりを学び中。 目標設定が苦手なので「できる」を増やして道をつくります。語り合う時間も一人の時間も、同じくらい大切です。感情の言語化にまだ慣れておらず四苦八苦中です。そんな私が自分を編集するために感情について書きます。