真面目に生きることをやめました。

初めに言っておくと、私はクソがつくほど真面目だ。
中学の時、地元の進学校に進むために1日14時間くらい勉強していたし
先生が言うこと、親が言うこと、ルールは守るべきものだと。

池田がクソ真面目に生きていた時代

高校時代、目標だけは誰よりも明確に持っていた。
私が家業の8代目として生まれたことや、母が中学の時に亡くなったこともあり、私が家業を継ぐ。そのために経営や農学(青果の卸の会社のため)を学びたいと思いひたすらその学部がある国公立の大学を目指して勉強していた。しかし、頭の才能の方は正直あまりよくはなかった。
進学校に進学はしたものの、多分要領が悪いんだがあがり症なのか勉強をしても結果には全く出てこなかった。でもこの時の私はかなり真面目だったので才能がなかったら、努力で補うしかないと思いひたすら勉強をしていた。
それが顕著に出ていたのが浪人時代だ。
私は、北九州予備校に通うことになるのだが、そこが別名北朝鮮予備校と呼ばれているほど、厳しい予備校だった。他室訪問は禁止、スマホはもちろん漫画も本もダメ。寮には鉄格子があり、夜の19時から23時までの間が必修自習。その中でも私は毎朝5時に必ず起き、だれよりも多く勉強していた。静岡から東京に出たのに、寮の門限が17時で授業が終わるのが16時なので全く東京の夜を知らなかった。そんな1日14時間以上勉強している浪人生活を1年続けても私はセンター試験で失敗し大学受験で全落ちしたのだ。
1浪目と2浪人の間は闇期間で本当に誰にも会いたくないし、ずっとどっかで隠れていたかった。そんな感じでまた同じ予備校で2浪目を始めた。2浪目の春にみた桜ほと虚しいものはなかった。
だが私はめげずに全く同じ生活をつづけた。朝5時起きは変えず、厳しい寮でも誰にも負けまいと思いひたすら努力をし続けた。まるでガソリンが入っていないのに無理やりエンジンを回して前に進もうとする車のように、もうモチベとかやる気とかそんなものは関係ない。ただひたすらに努力するしかない、勉強をするしか他に道がないからだ。
だがしかし、蓋を開けてみるとまたもやセンターは失敗。行きたかった国公立の大学には結局行けなかった。滑り止めの私立には受かったのでそこにいくことになるのだがこの3年間に及ぶ受験生活で私は悟った。

このフィールドで勝負しても私は勝てない

私は言い切れる。いくら努力したところでテストで東大いくやつや医学部に行くやつには勝てない。それは明らかに持って生まれたものの違いだ。
そしてもう一つ。この受験戦争の中で一番腹が立ったのは、どうして紙っぴら一枚で私という人間を判断されなくてはいけないのかということだ。
私にはやりたいことや目標も明確にある。なのに一回のテストでひたすらに拒絶されてきた。
浪人経験を経て私はこれからクソ真面目に生きることをやめた。
紙っぴら1枚で私を見るのではなく、私という人間を見てほしい。
だからただ単位を取るだけのレポートや半強制的に受けさせられるTOEICは正直全くやらなかった。その代わりひたすら行動していた。
大学1,2年で海外インターン、海外留学、海外ボランティア、など8か国周り、社会人が受けるような高額な研修に参加し、子ども食堂をたて、4年次には会社を創った。その結果、レポートを全く出していないためGPAは低いが面接で認められ北大の大学院に進学で来たし、TOEICは全くやっていないけどアメリカに留学もできている。

真面目に生きることをやめてみる

要は何のためにやるか、それが明確になっていれば親や先生が言うことが絶対出ないことはおのずと見えてくる。
私の場合は経営や農学を学びたいという目標があった。
だから大学の座学でひたすら授業を聞いているよりも、自分で農家を見て回ったほうが得るものは大きいし、自分で会社を経営したほうが学べるものは大きい。大学の学びを否定するわけではないが、大学のレポートやテストが単なる単位を取るためのものであるならば時間の無駄だ。真面目にGPAをあげにいったところで面接官はその数字でしかあなたを見てくれない。
実際私は大学の授業自体は割と前の方で真面目に聞いていた。
聞いてはいるんだけどレポートは出さないという真面目なのか真面目じゃないのかよくわからない生徒だったと思う(笑)。
ひかれたレールからちょっと外れてみるのも人生違う角度から見れて面白いかもよ。

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