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正岡子規『はて知らずの記』#31 八月十七日 湯田→黒沢尻

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

近国無比の勝地なり。


十七日の朝は、
枕上の塒の中より
声高かく明けはじめぬ。
半ば、腕車の力を借りて
ひたすらに、和賀川に従ふて下る。
ここより、
杉名畑に至る六七里の間、
山、迫りて、
河、急に、
樹、緑にして、
水、青し。
風光絶佳、
雅趣、掬すべく、
誠に、近国無比の勝地なり。
三里一直線の坦途を、一走りに
黒沢尻に達す。
家々の檐端には、皆
七夕竹を立つ。
此日、陰暦七月六日なり。


杉名畑

若し三秋已に暮れんとして紅葉花よりも紅なるの候に至らは果して如何ならん。(初出)

黒沢尻(→岩手県北上市)

黒沢尻の宿は「伊勢屋」か。(全集第22巻)

当時は、街道筋には伊勢屋駅前には南部ホテルと野村屋旅館があったが、子規がそのどちらに宿泊したかはっきりしない。見物の場所とてない雨の降る陰鬱な旅宿に子規は何故二晩も泊ったのであろう。それは一日市から発信の書簡でもわかるか、日本新聞社主陸羯南からの旅費を待っていた為であろう。(門屋光昭、高橋一男編『和賀川流域誌』門屋光昭 1980)

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