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山形三五〇円温泉の旅 #7 四日目 左沢・寒河江

「左沢」と書いて、「あてらざわ」と読む。
 嘘だろう、と思うところだが、自分はこの読みを知っていた。
 以前、JR左沢線を使って、(これも難読地名だが)寒河江(さがえ)という街に、仕事で来たことがあったからだ。
 本日目指す温泉は寒河江にある。
 だから最寄りの寒河江駅で降りればよいのだが、湯に直行するのでは面白くない。
 また自分には、何事につけ、端っこまで行ってみたい、と考える癖がある。
 どん詰まりの駅・左沢には何があるのか?
 時間的余裕はある。
 そこで内田百閒の阿房列車ではないが、用事も無いのに行ってみる、ことにした。


 山形駅の階段をおりると、列車はすでに、プラットフォームに待機していた。
 アイドリング中のディーゼル車両が、ガラガラと音をたてて振動し、シートの上の尻を小刻みに揺らしている。この感じはフェリーに似ているな、と思った。
 二両のワンマン列車は、北山形の駅で山形線から離れた後、広々とした田園の中を走った。
 車窓からの眺めは、磐越西線を会津若松から喜多方に向かう感じに似ていた。
 涸れた田の上を、孔雀色したオスの雉が走った。

 左沢線には「フルーツライナー」という愛称があるようで、駅の表示板が果物の形をしていた。それは時に林檎であり、さくらんぼであった。
 果樹園の低木が花をつけていた。
 白は林檎で、ピンクは桃か、と推量した。
 最上川の鉄橋にかかった。
 川は今日も、抹茶オレの色をしている。
 橋を越えると、にわかに住宅が多くなった。
 寒河江の市街に入ったのだ。
 乗客は、寒河江の駅で、終着駅のように降りた。
 二両目の車内は、小さいお婆さんと自分だけになった。
 西寒河江の駅を過ぎると、左車窓から見える一帯が工業団地になっている。
 昔自分が行った工場は、あの辺りか、と見当をつけたりした。
 あまり楽しい思い出ではなかった。
 工業団地が去ると、列車は少し登った。
 しかし、山に入って行くわけではない。
 山の裾を巻くように遠回りして収まった所が、終着駅の左沢だった。

 左沢の街は平地にあった。
 駅前の道を、ゆるゆると下って行った。
 何も無さそうな土地に見えるのに、旅館の建物が目につくのはなぜだろう。
 交差点にぶつかり、その先の路地を何となく入ると、昔の宿場町のような風情のある一画に出会った。

左沢の街

 羊羹を切り分けるように、直線の道が区画を分けている。
 夜の店の看板も登場した。

左沢の街

 が、街は、数分も歩くと尽きた。

 最上橋という歴史のありそうな橋の前に出た。
 車が一台通れるだけの道幅で、「総重量一〇tをこえる車両通行止」「期間 当分の間」と書かれた看板が立っていた。
 水量豊かな抹茶色の川は、橋の先で急激に右カーブしていた。
 昔はこの橋の袂に、舟屋敷があったらしい。
 案内板によれば、かつて最上川は、米沢で獲れた米を、日本海側の酒田まで運ぶのに使われたそうだ。ここ左沢は、その中間点にあたる。水上輸送で賑わった時代があったのだ。そう考えると、旅館や呑み屋の色あせた看板が目につくことも納得される。

最上橋からの眺め

 この最上橋から、寒河江の温泉まで歩く予定である。
 徒歩一時間を見込んでいる。
 交通量のある車道ではなく、裏道を行くことにした。
 バナナの皮を剥き、実を齧りながら進む。
 車は一台も通らない。
 家の表札を確認すると、やたらと我孫子姓が多い。この集落は、我孫子一族だけで出来ているのではないか。
 昔はこの道が、生活道路だったに違いない。
 この四日間いろいろな道を歩いてきたが、道には、人が歩くためにもとからあった道と、車を通すために後から無理やり作られた道とがある、と気づく。
 河岸段丘と呼ばれる地形のためか、左手に川が流れているはずだが、見えない。
 しかし川面で冷やされた空気が這いのぼってくるのか、行く手から涼しい風が顔にあたって気持ちよかった。

 車が行き違い待ちをする小さな橋を北に渡ると、開発された区域に出た。
「シンフォニー」なるホテルや、農協の直売センターなどの建物が、ゆったりと配置されている。
 それらの奥に、日帰り温泉施設「寒河江花咲か温泉ゆ~チェリー」があった。

 浴室は天井が高く、バスケットボールの試合ができそうだった。
 入ってまず目を引くのは、色の異なる二つの湯が並んでいることである。
 右手の大きな浴槽は、新寒河江温泉・健康の湯といった。単純温泉ながら、よく出したほうじ茶のような色をしていた。泉温は四四度とあった。
 左手の小さめの浴槽は、寒河江花咲き温泉・高濃度泉といった。遠目には無色かと思われたが、近づいてみると、うっすら灰色がかっていた。炭素成分を多く含む。源泉の傍に行くと、硫黄臭もした。
 これらに加えて、露天がある。
 露天は、寒河江花咲き温泉二号湯といった。
 健康の湯が「銅」、高濃度泉が「銀」、露天が「金」で、金・銀・銅の三つがすべて揃っている、というのが、ここの売り文句のようだった。
 その露天の湯は、ゴールドというよりは、濁ったほうじ茶の色をしていた。
 泉温は、高濃度泉よりは熱めであった。
 円い浴槽の中央に、石像のさくらんぼが置かれていた。
「ゆ~チェリー」のチェリーとは、そういうことらしい。
 湯の上に、桜の花びらが浮いていた。

 露天には先客が二人いた。そのうちの短髪の中年男が、値踏みするような視線をこちらに投げてきた。
「コボ」とは公務執行妨害の略だ、などと年配の相方に話していたから、もしかすると警察関係者かもしれない。
 露天の塀は背が低く、傍に寄れば最上川を上から眺めることができた。
 開放的だ。
 古代の人は服も着けず、こんな感じで生活していたのだろうな、と思った。
 遠目に蔵王の白い雪が見えた。
 しばらくすると二人も、塀の傍に立って最上川を見ていた。
 警察の男は、水量が多い、濁っているよ、昨日の夜、雨降ったからだ、というような意味のことを云った。
 相方の年長者は、「んだんだ」と高速の相槌を打った。
 山形弁には韓国語のようなリズムがある、と思った。

 満足して四日目・最終日の温泉を出た。
 入るときは気づかなかったが、すぐ目の前が高速道路の出入口になっていた。
 寒河江の街は、道が広かった。
 そのぶん歴史というものが感じられなかった。工業団地で働く人たち向けに、新しく造成された地域なのかもしれない。
 太い道どうしが合わさる交差点なのに、信号機が無かった。
 駅前に来た。
 祭の山車が展示されていた。
 昔近くのホテルに宿泊したはずなのに、記憶は戻って来なかった。


この日の旅行代

寒河江花咲か温泉ゆ~チェリー 入浴料 350円
合計 350円
※左沢駅・寒河江駅までの交通費を除く

(このシリーズ終わり)

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