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正岡子規『はて知らずの記』#09 七月二十六日 飯坂温泉

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

雨。宿でマッタリ。


二十六日朝、小雨そぼふる。
旅宿を出でて、町中を下ること
二、三町にして、
数十丈の下を流るる河あり。
摺上川といふ。
飯坂、湯野、両村の境なり。
ここにかけたる橋を
十綱の橋と名づけて、
昔は綱を繰りて人を渡すこと、
籠の渡しの如くなりけん。
古歌にも

みちのくの とつなの橋に くる綱の
 たえずも人に いひわたるかな

など詠みたりしを、
今は、鉄の釣橋を渡して
行来の便りとす。
大御代の開化、旅人の喜びなるを、
好事家は、
古の様、見たし、
などいふめり。

釣り橋に 乱れて涼し 雨のあし

向ひ側の絶壁に憑りて構へし
三層楼立ちならぶ間より、
一条の飛瀑、玉を噴て走り落つるも
奇景なり。

涼しさや 滝ほとばしる 家のあひ

旅亭に帰りて、午睡す。
夢中、一句を得たり。
をかしければ記す。

涼しさや 羽生えさうな 腋の下

ここに召し使ふ一人の男、
年は十六、七なるが、来りていふ。
生れは越後にして、
早くより故郷をはなれ、諸国をさまよふて、
今は此地に足を留むと雖も、
固より落ちつくべきの地にもあらねば、
猶、行末は流れ渡りに、
日本中を見物するの覚期なり。
されど、それよりも成るべくは、
亜米利加に渡りて見たき存念なるが、
如何せばよからん、といふ。
年若きに、志、大なるが面白ければ、
様々の話しなどす。
名は何と呼ぶや、と問ふに、
平蔵、と答へければ

平蔵に あめりか語る 涼みかな

など戯れに吟ず。
明日は、土用の丑の日なればとて、
四方の村々より来る浴客、
夜に入りて絶えず。

当地は佐藤嗣信等の故郷にして、
其居城の跡は、
温泉より東、半里許りに在り。
医王寺といふ寺に
義経、弁慶の太刀、笈などを蔵すといふ。
故に此地の商家、
多くは、佐藤姓を名のると見えたり。

此処に限らず、奥州地方は、
賤民、普通に胡瓜を生にてかぢる事
恰も、真桑瓜を食ふが如し。
其他、一般に客を饗するに、
茶を煎ずれば、
茶菓子の代りに、粕漬の香の物を出だすなど、
其質素なること総て、
都人士の知らざる所なり。


十綱の橋(→十綱橋)

其居城の跡(→大鳥城跡か。子規は訪れず)

医王寺(→瑠璃光山医王寺。子規は訪れず)

旅店空室無く青楼余妓無しといふ。其盛想ふべし。(初出)

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