独りぼっちの卒団式
おはようございます。
3月になりました。
今回はこの時期になると思い出す少年団での卒団式のお話です。
僕にとって継続とは何かという原点、きっかけとなる出来事になります。
少子高齢化とか騒がれる前の時代です。
僕が小学生の時はJリーグ開幕、98年フランスW杯や2002年日韓W杯等もありサッカー熱がすごかった。
ですが地元の小学校ではサッカー少年団より、当時は県大会常連の野球のリトルリーグ、漫画『SLAM DUNK(スラムダンク)』の影響でバスケットボールのほうが人気があった。
なのでサッカーを同学年でやっている子がとても少なかったです。
小学3年時に兄を追う形でサッカー少年団に入団、自分より先に二人同学年がいました。
どちらも自分より体が大きいし上手い、一人は上手い上に喧嘩が強かった。
自分としては卒団までいるのかと思ったが、一人の子は兄が卒団したのと同時に一緒に辞めた、そこまでサッカーが好きではなかったとのこと。
もう一人は地元のライバルチームに今でいう移籍をした。
当時ライバルチームの勢いがすごく県大会常連だったのもあり、教育熱心のお母さまの手により、弱小だった所属チームを辞めてすぐにライバルチームに入団していた。
なので1個上が卒団したと同時に自動でキャプテンをすることに。
実際ギャーギャー声出していただけで、キャプテンらしいことは何もしていませんが。
学年で1人しかいないですから、後輩たちと必然的に絡む。
そんなこともあり大人になった今でも一緒にいた後輩達と仲がいいです。
完全にいじられキャラの扱いでリスペクトはないですw
その後、新しく同学年の入団がなく、結局最後の卒団式は1人でした。
地元の公民館の1室を借りて、行う卒団式。
兄の時でさえ3人もいたのに、僕の時は1人で皆に囲まれる。
なにこの記者会見かと思ってしまった。
あの時は何も考えていませんでしたが、休みの日にたった1人の為に開いてくれたかと思うと保護者の方々、監督、コーチたちに感謝です。
それと実は自分も兄が卒団したときにどうする?と母に聞かれました。
僕はチームの皆といるのがめちゃくちゃ楽しかったのと、やはりサッカーが好きだったということで残る決断をした。
子供の時のほうがまだ素直に決断できていたなと。
ただ家は裕福ではないし弟のこともあったので、親としては負担を減らしたいと少なからず思っていたでしょう。
それでも続けることを認めてくれた。
その分土日の試合での送迎など親の負担を増やしてしまった。
自分の為に費やしてくれたお金と時間を早く返せるようになりたい。
そしてこの決断があったからこそ、下手くそでもサッカーを15年以上続けることができたのだと少なからず影響があったと思っています。
現役を引退した今でもボールをいつまでも蹴っていたいのは変わりませんが。
好きなことを好きだと言い続ける、そしてやり続ける、そんな人生をこれからも作ります。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
ではまた。
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