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拝啓、推し様。1

──拝啓 推し様。

あの頃。
君のことを見つけた時から、僕の運命の歯車はずっと回り続けた。
いなくなっても尚、ずっと回り続けていた。
でも、あの頃から10年。いい加減現実逃避するのは辞めにする。

君のことは僕の心の中で生き続ければいい。
それでいい。

もうそろそろ、その歯車もやがて止まろうとしていた時。

君とこんな形で出逢うと思わなかったんだ。

手の届かないと思っていた推しとただのオタクな僕、だったから。






10年前。僕は生粋のアイドルオタクだった。

普段は平凡なサラリーマンとして働いているが、汗水流した労働の対価はスポーツカーやブランドものなど自分の為に支払うのではなく、全てアイドルのキラちゃんだけに捧いだ。

彼女は【神様少女】というアイドルグループに属している。メンバーは7人で構成されており、センターではなく、いつも端っこにいるアイドルとしては少々目立たない子。端っこにいるとアイドルとしては認知度が低いものの、彼女はいつも天真爛漫でファンサービスが凄い。

例えば、握手会で運営がお時間ですと言いながら僕たちファンとのことを剥がしているのにも関わらず、「え行っちゃヤダ、まだここにいて」と手を頑なに離さない。それをされると端っこのメンバーとはいえ、即効性があり、恋に落ちる。沼にハマった僕たちはもう、彼女の虜。

良い大人がアイドルに夢中で何してんだって思う人がいるだろうが、これでいい。これでいいんだ。

僕はこの生活が幸せで、彼女も僕みたいなオタク野郎に推されてきっと幸せなんだよきっと。

これはまさに、ウィンウィンな関係なのだ。


彼女と握手をするだけで。チェキの時、隣にいるだけで。一緒の空気を吸っているだけで。彼女の幸せそうに歌って踊る姿を見るだけで。彼女が生きているだけで、幸せを感じている。もうこれ以上は求めない。

そう思っていたはずなのに、僕はそれ以上の幸せを求めすぎたようだ。



──それは、アイドルである彼女にガチ恋になってしまったことだ。



最初は、彼女のSNSに執拗にコメントをしたことが始まりだった。

「おはよう」という呟きには「おはよう」だけでなく、今日はこんな日だねとか今日の占いではこれが良いみたいなんて一言をプラスしていったり、とにかく彼女がSNSを呟く度、僕は何個かそれぞれ違うコメントを送った。

彼女もしっかり返信してくれたり、僕の呟きに反応してくれてとても嬉しかった。あぁ、僕は特別なんだって。

だけど、彼女はアイドル中のアイドル。僕以外のオタクたちにも丁寧な返信。

彼女はアイドルの鏡と呼ばれるほど、抜かりはない。そんなところも好きだったけど、どうして僕だけの一番になってくれないのかと沸々疑問に感じた。

それがガチ恋への切符だったんだろう。

そこから僕は、彼女がSNSにアップする画像から瞳に写ったもの、小さな文字などを手掛かりに彼女の住んでいる場所や遊ぶ範囲などを突き止め、画像の画格までしっかり把握し、同じ席にとどまったりした。

まるでストーカーのような存在になった。

但し、ストーカーと言っても彼女を襲ったりするような攻撃は絶対しない。彼女のことが好きだから。僕以外の悪い人間から守るために傍で見守っている系のストーカーだ。

屁理屈だと思ってもらっても構わない。これが僕なりの彼女の守り方なのだ。


ライブ後の特典会でも今までは「好きだよ」「応援している」そんな言葉ばかりしか言えなかった僕が今となっては、「愛している」「来世では結婚しよう」「死ぬまで僕たちは一緒だよ」と重めの愛を伝えることが出来るようになった。

彼女はこれに対しても笑顔で「ありがとう」と返す。裏では気持ち悪い厄介者のオタクだと思われているかもしれないけど僕はこれでまた一つ、彼女の特別にまた近付いた。


そんなある日、僕は彼女との接触を禁じられた。いわゆる出禁だ。

彼女は今まで嫌だとか、拒否反応を見せる素振りを全くしなかった。なのに何故。

僕は信じられなかった。だから最後の力を振り絞り、運営スタッフに制止させられた彼女との距離をまた近付き、「これからもずっと永劫にキラちゃんしか愛せない!」と最後の愛の告白をし、また運営スタッフの力により、僕はまた彼女との距離が遠くなった。

僕が去っていく姿を見た彼女は口パクで何かを言っていた。


<ごめんなさい>


多分。いや、この言葉を言っていたんだろう。どうして彼女が謝る必要があるのか。僕が出禁になる行動をしてしまったのに。



──そっか。彼女自身が僕を出禁にするよう運営に根回ししたのだろう。

何やってんだろうな、僕。大好きな推しの為に人生を捧げてきたというのに。

この時の僕は25歳。アイドルの彼女は17歳。


未来永劫、彼女とどうにかなるはずがないのに。



それから僕は、”彼女”のいなくなった心の隙間を埋めるように仕事に没頭した。

彼女を忘れるように他のアイドル会場にも行った。彼女が所属したアイドルでは出禁を食らっているのに、他のアイドル会場では出禁させられないのが不思議なくらい。

思ったより他のアイドルでも「楽しい」という感情を持ち合わせていたのには、自分自身驚いたが、やはりどこか”彼女”を凌駕するほどの胸を締め付けるものまでは到達しなかった。

可愛いと思っても「可愛い」だけで終わり。

「この子、推しにしたい?」そう聞かれても僕は首を縦に振らないだろう。


そんなこんなで気付けば10年が経ち、僕は35歳の誕生日を一人で迎えていた。

今までだったら”彼女”から僕宛の誕生日メッセージ動画を観ながら、一人では食べきれないホールケーキにかぶりつく日々だったのに。もう、あの日々は来ない。一生。

甘いものが嫌いなくせにね。動画越しとはいえ、”彼女”に祝ってもらえるなんて思ってもいなかったから一人で勝手に強がっちゃって。


”彼女”が今どうしているか分からない。

まだアイドルを続けている?それとも一般人になって普通の幸せを手に入れている?

なんも知らない。SNSを辿れば、”彼女”の現在を知ることも出来るだろう。

でもそれはしない。そんなことをしたらまた僕はあの気持ち悪いストーカーが出来上がってしまう。

そうなってしまったら終わりだ。まともな人間に戻れなくなってしまう。


”彼女”といつか住むかもしれないと買ったタワーマンション。今ではもうそんな叶うことのない夢。

そこには僕と”彼女”に似た猫が1匹しかいない空間。

そんな空間にポツリ。お見合い写真が無造作に置かれていた。

そういえば、母親から良い歳なんだからお見合いするように言われていたんだっけ。

写真に写る女性は、由緒正しきお嬢様と言う感じ。清楚で今まで誰とも交際をしたこのないような美しい人だった。

もちろん僕だって写真を見た瞬間、「綺麗だな」「この人と結婚したら普通の幸せな家庭を築けるんだろうな」と思った。

そう思っただけであって、僕の胸のトキメキと高鳴りはびくりとも動かなかった。


【やっぱり”彼女”じゃなきゃダメなんだ】


あぁ、こう思う自分が気持ち悪い。どれだけ”彼女”に粘着しているんだろう。

その邪悪な想いを断ち切るため、心機一転彼女を作ろうとマッチングアプリを始めた。

マッチングアプリには、どこぞのアイドルだと彷彿するような容姿の女性ばかりが登録されていて最初はこんな僕でもたじろいだ。

それと同時にアイドル以上の子と付き合えるかもという淡い期待が膨らんでいく。

そうすれば、”彼女”のことは忘れられる。絶対忘れられるんだ。

”彼女”は大好きな存在が故に僕の呪いのような存在だったため、どうしてもこの鎖を断ち切りたい。


そう。頭では思っているのに。

気付けば、この子は”彼女”とは全然違う。似てるけどなんか違う。可愛い部類だけど”彼女”には負けている。

なんて少しでも気になる子さえ、彼女と比較してしまってマッチングすらも出来ない。

そんな時、スマホのスワイプする手をピタリと止める。

そこには彼女と容姿が似た女性、”悠衣”と名前表記されている子に目を奪われた。

年齢は27歳。キラちゃんが10年経った後の年齢だった。チャームポイントは八重歯。”彼女”もチャームポイントはキュートな八重歯。心なしか、その八重歯もどことなく”彼女”そっくり。

血液型はA型。誕生日は11月11日。好きな食べ物はパフェとカレー。嫌いな食べ物はパクチー。

悠衣という子の基本情報とキラちゃんの基本情報を見比べるとのほぼ一致していた。

こんな偶然あるわけないと思うが、僕は無性にこの子に惹かれ、思わず”いいね”を押してしまう。


このたったひとつ。

”いいね”を押しただけで僕の人生がまるっきり、360度変わるなんて思いもしなかった。


”いいね”を押してから1週間。相手からのアクションはまるでない。

あぁ、どうせ気持ち悪い。こんなおっさんは相手にしたくないと思ったのだろう。

こればっかりは仕方ない。諦めるのが吉。そう思った矢先、久しく鳴らなかったスマホの通知音が鳴る。

正直期待なんてしていなかった。どうせ、登録したけどろくに見てもないメルマガのお知らせなんかだろうと。画面を見るまではそう思っていた。


”悠衣さんとマッチングしました”

”悠衣さんから1件のメッセージがあります”


そう書かれていた画面を見て僕は思わずガッツポーズをした。その反動で、ガッツポーズをした肘が高く積み上げられた段ボールの箱にあたってしまい、今までキラちゃんがSNSにアップした画像を現像した写真たちが雪崩のように落ちていく。

それを戻さないといけないという気持ちとは別にスマホの画面を今すぐ開きたいという気持ちが葛藤。

”彼女”のことは好きだが、やはり目の前の現実には抗えない。

雪崩が起きた写真を横目にスマホのロックを解除。メッセージを開く。


<初めまして。マッチングありがとうございます。つきまして、突然ですが、来週デートしてくれませんでしょうか?>

このメッセージは夢だろうか。

マッチングアプリとはいえ、彼氏彼女を作りたいと思っている人は普通何通かメッセージを交わしたのち、出逢うのでは?僕の常識が間違っている?

いいや。僕の常識は間違っていない。この10年間。ガチキモストーカーを脱却するためにどんだけ普通の人になれるか日々辛い訓練を行っていたのだから、僕が思っていることは間違っていないのだ。

それにしてもこのメッセージの意味とは……?

この子も一目惚れのような感覚だったのだろうか。いや、こんな”彼女”に似た子がこんなモブみたいな僕に一目惚れするはずがない。

……ということは巷で流行りのヤリモク……?


いやいや。こんな清純そうな子がそんな考えに至るはずがない。──いや、待てよ。最近の女性は見た目で判断できないからな。そうだったとしたら僕はからかわれているだけなので返信しないのが吉。

でももし、これが純粋無垢なデートの誘いだったら。断ってしまうのであると、僕はきっと後世まで引きずる事だろう。


ええい。どうにでもなれ。


そんな勢い任せに<もちろんです>と承諾のメッセージを送るのだった。

その後は淡々とデートの場所、集合時間などをデートの誘いメッセージからたったの5ラリーで終了した。


こんなもんなのか。

デートの約束する前、もっとドキドキするものだと思っていたが、僕が思っているより少し違った。

こんなものなのか、恋愛って。

言われなくても分かると思うが、僕は誰とも交際したことがない。

彼女と出会う前、良いなと思う子がいても臆病な僕の心は怖気づき、仲良くなることすらできなかった。いつの間にかその子は別の人と付き合い、月日が経って別れても尚、その絶好のチャンスをものにしない気弱なのだ。

そしてキラちゃんと出会ってからは、他の人と【恋愛する】という言葉は抹消されていた。アイドルの”彼女”であってもいつかは僕を見てくれる。それがオタクから恋人に昇格できるなんて夢のような妄想に浸り、恋の仕方すら忘れてしまっていた。


床に散りばめられた”彼女”の写真を見て「キラちゃん。もう少ししたら君のことを忘れる決心がつきそうだから。それまでまだ僕の心の中にいて」と”彼女”の写真を抱え込む。まるで本物の”彼女”を抱きしめるように。


デート当日。緊張で集合時間の2時間前に到着してしまっていた。遅れるよりは全然良い。人生で初デートなのだから失敗したくない。しかもそれが多分、きっと僕にとって三次元での遅咲きの初恋だから余計に。

僕の格好は変ではないだろうか。ネットや柄にもなくファッション雑誌などで研究をした。歳相応に見えるだろうか。心配になってしまい、相手が来るまで何度ガラス張りに映る自分の姿をチェックしたのだろう。3秒に1回くらいチェックをしているはずだから、およそ2,400回も確認しているのか。そう考えると気にしすぎも良くないなと思い始めた。

集合時間1分前。最後の前髪含めた髪の毛チェックと服装チェックを終わったところで「碧翔(あおと)さん、ですか?」とマッチングアプリの相手・悠衣がようやく登場した。ようやくとは言っても、彼女は集合時間ピッタリなんだけど。

「あ、はい。そうです。悠衣、さんですね?」

「そうですけど、私、こっちですよ」

僕は緊張からなのか、彼女に似つかない駅前にある人形に話しかけていた。こんな古典的なリアクションするとは、自分自身驚いてしまった。

「アハハ、初めてなので緊張しますよね」

「ごめんなさい、緊張が凄くて」


初めて彼女を画面越しではなく、リアルで見た時。

僕に向けられた笑顔や声がどうしても”彼女”の顔がチラつく。

彼女は悠衣であり、キラちゃんではないということが分かっているのに。


「じゃあ、早速ここら辺探索しましょうか」

彼女がそう言いながら駅からすぐの商店街をブラブラし始めた。

何か。何か話さないといけないのに上手く言葉が紡げない。これは緊張からくるものなのか。それとも他の【何か】なのか。

グルグル考えている時、彼女が「これ可愛い」と言い、ある店舗に足を止める。

そこはパンダのグッズばかりが売っているパンダ専門店だった。

良く見ると彼女の髪飾りにはちょこんとパンダが乗っていた。

「パンダ。好きなんですか?」

「え?」

「それ」僕は髪の毛を指さす。

「あぁ。はい。小さい頃からパンダが大好きで。大人になっても未だに好きなんですよね」

そう言えば、”彼女”もパンダが好きだったなと。また考えてしまう。


「変、ですかね?大人になってもパンダが好きでこんな子供じみたアクセサリー使っているなんて」

僕が上の空だったせいなのか、彼女は気遣うように話しかける。

「いや、そんなことはないですよ!好きなものがあるのは良いことですから。……もし、良かったらそれ。買いましょうか?」

欲しいのかやたらずっと触っているパンダのぬいぐるみ。

「えっ。いや、このぬいぐるみの触り心地が良くてですね。家にたっくさんぬいぐるみがあって、むしろ困っちゃうっていうか」

そう言い、商品を元に戻そうとする手がなかなか離れない。

そんな彼女の愛くるしい姿に<愛らしい>という感情が生まれた。頭の片隅に”彼女”がチラつくものの、僕は目の前の彼女としっかり向き合っているということが分かった。

「遠慮しないでください。僕が買うんで」

僕がこんなスマートに女性にモノを買ってあげるなんて。若かりし頃の自分とはまるで大違いだ。

彼女はやはり欲しかったようでかなり喜んでいた。


「これで私に送った100個目のプレゼントだね」

そんな声には、僕は気付かなかった。



第2話

第3話

第4話(完)


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