土佐日記② 2泊5日の旅
私は紀貫之ではないので、女もしてみむとてするなりな日記が読みたい方は、お帰りください。
波乱に満ちた一日目に別れを告げ、待望の二日目が来ました。どうでもいいけど、「夜明けぜよ!」のセリフで起こしてくれるアラームとかないすか。欲しいです。
天気は快晴!埼玉と違って夕方に天気が荒れることもなく、旅行日和が続きました。感謝。
さて2日目は、中岡慎太郎さんの故郷、北川村へ向かいます。ずっと楽しみにしてました。一緒についてきてくれた友人ありがと〜!
電車で2時間。高知駅から東へ向かいます。
道中のお供は、「千里の向こう」。
正直に言うと、この時点で慎太郎さんの生涯についてよく知りませんでした。
陸援隊隊長で、薩長同盟を締結させて、近江屋で殺された人。
龍馬さんの名前を出さないと、ピンときてもらえない人。
そんな感じです。本当に好きなの?
慎太郎さんは、あの笑顔に惚れました。
「中岡慎太郎」で画像検索してください。あの時代に笑顔で写真に写ってるだなんて珍しいですよね。大抵の人は明後日の方向、向いてますし。
だけど、あの慎太郎さんの隣には女がいるらしいです。誰よその女!
慎太郎さんの顔ファン以外にも、前原一誠の名前ファンしてます。一つの誠。かっくい〜。
こんなんなので、別に歴女ってほどでもないです。紀貫之も巻き込んでるけど。
電車にはデッキが付いていて、外に出ることも出来ました。太平洋沿いの線路に入ったとき、私たちも外へ出ました。
緑と青が視界いっぱいに広がって、心が浄化されるのを感じます。
一面が緑になると、東京住みの友人が、呑気な感嘆の声をあげます。その隣で私は、
(地元と景色が変わらんなァ)
と思っていました。空と畑の境界線に、別の青が差し込まれたとき、ここぞとばかりに叫びます。
「海だ!!!」
初めて池袋に降り立ったときと、同じ感情が湧きました。埼玉県民は、都会へ行っても海を見ても、同じように喜びます。個人差はあります。
海、畑、海。
都会じゃお目にかかれない(埼玉なら畑にはお目にかかれる)自然を前に、写真や動画を撮る手が止まりません。
嘘。止まります。突如として墓地が出現するからです。
デッキに私たちを乗せた電車は、あろうことかトンネルへ入っていきます。
ゴォォっという音と共に、電車とトンネルに潰された風が、私たちを容赦なく殴ります。
右手に掴んだスマホと、左手に収まるむっちゃん(写真のぬいぐるみ、刀剣乱舞のキャラ)を離すまいと、両手に力を込めました。
下手なアトラクションより怖かったです。
奈半利(なはり)駅で降り、バスに乗り換えて中岡慎太郎館へ向かいます。私たちの他に何組かのおばさま達も乗り込みましたが、皆モネの庭で降りていきました。
私と友人だけを乗せたバスが、山を越え川を越えます。
大自然に囲まれたここは、とても空気が美味しかったです。
慎太郎館での近江屋の映像は、結末を知っているがゆえに、見るのが苦しかったです。
生家も見てきました。庭をウロウロしていると、青いトンボが周りを飛んでいます。
後で調べてみると、トンボはご先祖様を運ぶと言われ、青は誠実を表すと言います。実直で真面目な慎太郎さんが、私たちを歓迎しに来てくれたのかな、なんて思いました。
慎太郎さんと言えば、ゆず。北川村と言えば、ゆず。
慎太郎さんが栽培を奨励したゆずが、北川村の名産になっているんです。
「千里の向こう」の冒頭も、ゆずから始まります。
桃栗三年柿八年。柚子の大馬鹿?
\十八年/
なんてコール&レスポンスはしませんが、このシーンを読んだときはかなりテンションが上がりました。
慎太郎館のお向かい、慎太郎食堂でゆずソースがかかったチーズケーキを頂きました。
美味。
家に買って帰ったこのゆずソース(商品名:つぶつぶゆず)は2週間ほどで無くなりました。大好評でした。
このゆず、もしかして慎太郎さんが植えた木かな〜違うかな〜。慎太郎さんが育てたゆずだと思うと、美味しさも一入。
高知では北川の他に、馬路村のゆずも売られています。けれど私は頑なに北川産を購入。馬路村をライバル視するつもりは毛頭ないですが、北川村にお金を落としたかったのです。
ここらで気が付きましたが、この旅行中に一度も人間の写真を撮っていません。写真フォルダにあるのは土佐の景色とむっちゃんだけです。食も無かった。
私も友人も、人間を被写体にするという思考を持ち合わせていませんでした。旅行の終盤で慌ててレンズを自分たちへ向け、疲れと撮られ慣れていないせいで口角が引き攣った女を、スマホに収めました。
撮らなくても良かったかもしれません。
三日目は、桂浜へ行きました。
ここで、日本の行く末を案じたりしてたんですかね。土佐を脱藩しようと決意したのもここだったりするんですかね。
「土佐の高知の桂浜に立ち、潮風受けて夢抱いたのはいつじゃ」
よさこいの歌詞が頭を過ぎって目頭が熱くなりました。
私は潮風を受けて夢を抱く代わりに、手櫛でも解けないパサパサの髪を手に入れました。
海無し県じゃ出来ないぜぇ。
桂浜は、お土産がとても充実していました。バイト先と大学の友達用に、それぞれ個包装になった15個入りのクッキーを購入。あ、これお父さん好きそう。お母さんは和菓子が良いって言ってたな。妹がこれ喜びそう。
後々、お土産で一悶着起こすのですが、この時は知ったこっちゃありません。
そういえば、友人が桂浜に推しCP(二次元のキャラ同士を付き合わせてカップルを作る、オタクの妄想の産物)を刻んでいました。彼女の描くイラストは綺麗で、迷いのない線が人間を生成していきます。そのキャラの片方が土佐にゆかりがあると言われている人で、彼女も彼女で土佐を満喫していました。
数分もかからず二人の人間を描き上げた彼女は、満足そうに笑っています。
3秒後、砂に刻まれた二人は波にさらわれていきました。一瞬にして消えました。儚いです。恋ってきっと、こんなもんです。
海に反射する太陽と、容赦なく靴に入り込んでくる砂に口数が少なくなりながら、私たちは桂浜を後にしました。
余談ですが、友人がプラシーボ効果が絶大な女だということが分かったのも、この桂浜です。おもしれー女。
My遊バスに乗って、高知県立坂本龍馬記念館に向かいます。
ここでまた事件が起こりました。
最後まで油断ならんです。
桂浜で携えた大量のお土産を両手に、バスの中で海に吸われた英気を取り戻しました。記念館前は桂浜の次の停留所。それまでゆっくりします。
文明の利器って偉大だな、昔は歩いて移動してたんだもんな。ありがとう、車を開発した人。
バス前方のモニターで、土佐の観光名所が紹介されています。日本語の他に英語、中国語(あったかな?)が聞こえてくる車内に、グローバル社会を実感したのを覚えています。
高知県立坂本龍馬記念館が映し出されます。そうそう、私たちこれからここに行くのよ。
はいはーい、降りまーす!
次、降ります
ボタンを押すと、車内の空気がひりつきました。え、どうしたの。
「お客さん、どこで降りるの」
どこで降りるのって、やだな〜。記念館前に決まってるじゃないですかぁ。それとも、桂浜から記念館の間に小さな停留所があるんですか?
「坂本龍馬記念館ですっ」
前方に声を飛ばします。私たち、日本史を嗜むのよ、文化的な日本人でしょ。
「過ぎちゃったので、そこで止まりますねぇ」
え!
え!!!
過ぎちゃったの!?
私たちの顔から笑みが消えました。回復しかけた英気どころか血の気も引いていきます。
「次は記念館前です」ってアナウンスあった?聞いた覚えがありません。バスの座席にもたれ掛かることに必死で聞き漏らしたのでしょう。こんなことなら桂浜を出てすぐにボタンを押しとくべきでした。
適当な所でバスが止まります。
「すみませんすみません」
自分たちが観光客であることに胡座をかいていたのが、急に恥ずかしくなりました。私たちが観光名所に来てやっているのではありません。観光名所が私たちを迎え入れてくれているのです。三日目にして、旅の本意を知りました。
降ろしてもらった場所は、観光名所とは程遠いただの道路の上でした。左方で煌めいている海が嫌に眩しいです。
幸いにも、記念館の大きさが分かるくらいの距離です。数分歩けば着きそう。
「気付かなかったね」
「私たち迷惑な客じゃん」
「だね」
「……」
「……」
あまりにも疲れが溜まりすぎていました。記念館への道は坂になっています。私はもう一度、車を発明した人は偉大だなと思いました。
遅延騒動から始まり、私も友人も初めての夜行バス。はしゃぎっぱなしの道中。隣の部屋の音が聞こえるホテル。
友人とは沈黙が苦にならないほど深い間柄ですが、この時は沈黙が満ちたと言うより、無駄な体力は使わないでおこうと静かに結束していました。そうだよね?
連日の暑さと海風に当たることを考えて最低限に施したメイクが、汗に浮かんでいます。メイクが落ちてしまえば、私は観光客ではなく、高知県に迷い込んだただの埼玉県民になるのではないかと、一種の恐怖さえ感じました。
坂を登りきって、記念館前に着くと、そこにはネコがいました。職員のおじさんが名前を教えてくれます。
高知へ来たのに、見かけるたびにネコを追いかけ回す友人は嬉々として、ネコと戯れにいきました。
ネコが好きではないどころかアレルゲンな私は、少し離れた場所で動画を回しました。
ネコの名前は、忘れました。
記念館は、体験型になっているコーナーが多く、小さなお子さんでも楽しめるような場所でした。また展示室もありましたので、老若男女、日本史の好き嫌い問わず楽しめると思います。
言うまでもなく、ハプニングに思い出の全てを持っていかれているので、記念館の細やかな感想は書けません。
ただ、実質無料(入れたコインが返ってくるタイプ)のロッカーがあったのが有り難かったです!お土産の紙袋の持ち手が、手に食い込んでて痛かったので。
都会じゃ、数時間ロッカーに荷物を預けるだけなのに、500円600円取ってくるからね!お金返してくれないから!!!
高知駅へ戻り観光案内所へ預けていたキャリーケースを取りに行き、夜行バス出発時間までカラオケで時間を潰しました。
土佐へ導いてくれた刀剣乱舞の「夜明けの空」を友人と熱唱。南海太郎朝尊(武市半平太の打刀)、肥前忠広(岡田以蔵の脇差)、陸奥守吉行(坂本龍馬の打刀)の三振りの曲です。感動必至!
欲を言うなれば、慎太郎さんの短刀、信国も実装してほしいです。待ってます。
素敵な曲で旅行を締めくくり、帰りの夜行バスでは特にトラブルもなく、翌日の朝、二人で朝食を食べて別れました。
本当に楽しかった。2年前からずっと行きたかった場所なんです。ホテルも交通も全て自分たちで調べて予約して。自分が一回り成長したと、胸を張って言えます。良い経験をした。これからも色々な場所へ旅行に行きたいです。その時はまた、〇〇日記、書きますね(笑)。
これで終わったら、良かったのにね。
綺麗に終わらないのが私の人生です。嫌だ、こんな人生。
というわけで続きがあります。
お土産の一悶着です。
誰ですか、「家に着くまでが遠足です」とか言った人。「お土産を渡すまでが遠足」と言い直してください。
なんなら、遠足のしおりの一番最初に書いておいてください。私こんなこと学んでません。
実は、従兄弟宅へのお土産を買い忘れました。
叔母さんにはあーんなにお世話になっているのにねえ?本当何してんの。
自分で自分が嫌になります。
幸い、自宅へのお土産をたんまり買っていたので、そこから塩けんぴを取り出して、
「ほら!貴方がたのために買ってきましたよ!!!」
とでも言いたげに、恩着せがましく恭しく渡しました。
ごめんなさい、本当に。
これで終わったら、本当に良かったのにね。
しつこいですよね、分かってます。でもまだ続きがあるの。
まだやらかしたのかよ!とお思いでしょうが声を荒げる必要はないです。お馬鹿な私は、私が叱り済みです。
しっかりしろよ、本気(マジ)で。
実も不実もありませんが、先ほど大学の友達へお土産を買ったと書きましたね。
食べちゃいました(小声)。
はい?
お土産、食べちゃいました!!!!!!!
何を書いても言い訳だと思われそうで、ならもう開き直って言い訳をするのですが、
お土産の量が多かったんです。
従兄弟へのお土産は忘れたくせにね。
お土産を大量に買って帰ったんです。
しかも授業が始まるまで友達には渡せないじゃないですか。それも相まって、何が誰宛てか分からなくなっていたんです。
しかもねえ、お土産開封をしちゃったのが家族だったらまだ良かったかもしれません。
自分で開けました。
「お土産まだ残ってんじゃーん」つって。
包装紙ビリビリに破きました。
美味しかったです。
何してくれてんだよ。
タイムマシンがあったら殴りに行ってます。
この時、そのお菓子が大学の友達用だとは気付いていません。なんなら、食べ終わったあとも気付きませんでした。
気付いたの、大学が始まる前日……。
大学の人間関係が希薄なんでしょうね。
何が地獄って、大学が始まってからです。
授業初日、お土産交換会が開かれていました。
全国各地のご当地土産が、私の机に並べられていきます。さながら物産展。
私は椅子に座ったまま、動けません。
気まずいからです。
夏休み前に、高知旅行を自慢していました。
それはもう、自慢しました。
「高知って何があるの?」と返してきた奴は、自慢とは思っていないかもしれません。
それでも、私は自慢しました。
こんなサイコーな状況下で、どうして「お土産食べちゃったテヘペロ」と言えよう。いや言えまい。
結局その日は、「おはよう」と「(お土産くれて)ありがとう」しか言葉を発していません。
旅行の話もしていません。あれだけ自慢してたのに。
一緒に旅行へ行った友人に話すと
「私がインフルになった(ので旅行自体行けなかった)ことにしていいよ」
と言ってくれました。
こんな形で彼女の優しさに触れたくありませんでした。
現状、土佐という単語はまだ大学で発していません。なぜ私がお土産を持ってこないのか、そもそも高知旅行に行けたのか、迷宮入りしています。もっとも、そんなことどうでもいいかもしれませんが。
はりまや橋の弁当タカリじじいが可愛く思えます。私は物を貰った分際で、何も返していません。
この記事が、大学の人に見つかりませんように。もし見つけてしまったら、読んだ代償として笑って許してください。
懺悔を持って、土佐日記を終わります。
ありがとうございました。
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