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SNSで、メメント・モリ

 読書レビュー用のTwitterのアカウントを使い始めて7ヵ月ほどが経過した。発信も兼ねて本格的にツイッターを利用するようになって、ときどき目にするようになったのが、フォローとフォロワー(FF)数が同時にひとつずつ減る現象である。私が知る限り、原因は次のふたつである。

 ①相互フォローからのブロック(ブロ解)
 ②相互フォロワーがアカウントを削除

 SNSを利用していない人や、ツイッター利用歴が浅い方のために、①の「ブロック(ブロ解)」を説明する。ツイッターの「ブロック」機能で特定のユーザーをブロックすると、お互いの投稿が見えなくなる。ブロックは相手に通知されないが、相手のプロフィールを見ればブロックされていることはわかる。そして、このブロック機能にはお互いのフォロー状態を強制的に解除する仕組みが備わっている。このため、相互フォロー状態からブロックすると、お互いのFF数が減少する。
 「ブロ解」はブロック直後にブロックを解除する行為である。強制的に相互のフォローを解除するが完全な拒否でもなく、お互いフォローをする前の状態に戻す意図にあたる。プロフィール欄に「お別れはブロ解で」と注意書きをするユーザーもいる。「相互フォロー前提で利用しているので、リムーブ(フォロー解除)するなら、ブロ解でこちらのフォローも同時に外すように」の意味だ。

 次に、②のアカウント削除について。ツイッターは「設定とプライバシー」から「アカウント削除」を選択すると、自分が作成したアカウントを削除することができる。アカウントがなくなれば当然、そのアカウントをフォローしている側のFF数も減算される。これが冒頭②の現象だ(ちなみにアカウント削除は、一ヵ月以内なら取り消して復帰可能)。減ったアカウントが消えていないのが①、消えているのが②である。FF数が同時にひとつ減る現象は、ふたつの種類のお別れを意味する、ということになる。

 ここまでは主にツイッターの機能と現象の説明である。以降は②のアカウント削除について、思うところを述べてみたい。FF数の同時減少から知るアカウント削除には、寂しさがある。ある程度、返信(リプライ)やいいねのような反応を送り合ったユーザーはもちろん、ほとんど関わることのなかったアカウントであっても、アカウント削除を知ると、心に少し影が差す。オーバーかもしれないが、その暗さは人の死に対する感覚にも重なる。

 たかが、SNSのアカウントデータの消去を人の死になぞらえるのは大袈裟である。ただ、SNSのアカウント削除の訪れはたいてい現実より唐突だ。現実の死の多くは、老化や病などによる体調悪化などを経由し、ある程度は予期した状態で他人の死を迎えるケースが多い。一方でSNSのアカウント削除は、後になって思い返せばということはあっても、削除を予期できないほうが普通である。その意味では、アカウント削除の多くは単に小さな死ではなく、具体的には小さな自死を連想させる。だから暗さがつきまとう。匿名のSNS上で関わっただけのユーザーのその後もわからない。そして、消えてしまったアカウントの情報は後から見ることができない。

 アカウント削除に暗さを感じるもうひとつの理由は、わざわざアカウントを削除しているという行為そのものにもある。単に辞めるのなら放置しておけば構わないところ、ユーザーは意志をもって削除という終わりを選んでいる。アカウントの削除とともにユーザーが何らかの区切りをつけたことだけは、行為を通して立ち去られた側にも伝わる。こちらは唐突に取り残されたことを知る。

 以前に比べて、相互フォロワーのツイートに返信するか迷ったとき、リプライすることが増えた。たびたび目にしてきたアカウント消失が与えた、小さな変化である。

(トップ画像はpixabayより。作成者はgeralt様です。)

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