『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』 常守朱はなぜ法外に出たか?
初見の感想
『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』(2023年)を遅ればせながら見た。
感想は3つある。
①よくわからない点がある
②これまでと同じだなあ
③常守が槙島になった!
①の具体例は、潜入捜査官の自傷・射殺の理由、本部長の自殺の理由である。
レンタル動画の良いところは何度も再生可能な点だ。
疑問点に注意しながら見直したら、だいたいわかった。
映画館で見て、私と同じように「わからない」と感じた人もいるかもしれない。
以下に私なりの解釈を記して、共有することにしよう。
なお「PSYCHO-PASS サイコパス」はシリーズものである。
今回の作品だけを見て映画の内容を理解するのは不可能だろう。
少なくとも「1st Season」は知っている必要がある。私が高く評価するのも「1st Season」である。
私は以前この作品にいたく感激して、電子書籍を作った。
以下の解釈は、その延長線上にある。
(ただし私は『PSYCHO-PASS サイコパス 3』を途中棄権している。そのため見落としや誤解している点があるかもしれない。)
物語の構成
今回の映画の構成は以下のとおりである。
私は、2つの話が並存していると思う。
話① 犯罪者集団をやっつける話
話② 法を守るために法を犯す話
「起」の事件発生から「転」の事件解決までが話①である。
「承」の事務次官会議と「結」が結びついて話②を構成している。
話①は話①として楽しめる(事件は事件として楽しめる)。
話②の会議では法の廃止が検討されている(シビュラへの一本化)。
しかし話①と話②の関係性は希薄である。
話①があったからこそ話②の「結」につながった、という感じがしない。
私はこの点が、この作品の弱点ではないか、と一旦は思った。
登場人物を整理しよう。
政府側と犯罪者側に分ける。
国内事件は厚生省が担当する(シビュラシステム&ドミネーターの世界)。
外国が絡む事案は外務省・国防省が担当する(無法地帯)。
ピースブレイカーは元・外務省の特殊部隊である。それがテロリスト集団と化した。ジェネラルなる神を信奉し、独立国家樹立を目指している。
私は『地獄の黙示録』(1979年)のカーツ大佐を連想した。
ジェネラルが誰かは謎である。
事件は、ピースブレイカーがストロンスカヤ博士を殺害することから始まる。
博士を襲った目的は、ストロンスカヤ文書の入手である。
ストロンスカヤ文書は、シビュラシステムが世界に与える影響をシミュレーションするための基礎理論とされる。
「政府」対「犯罪者集団」だ。
話を複雑にしているのは、①容疑者集団の前身である外務省部隊を創設した上司が捜査に関与していること、②すでに潜入捜査官がいて上司が容疑者たちを泳がせていることである。
これらの点は徐々に明らかにされる。
両者の間で3つの戦闘が行われる。
三度目の正直で成功する。
コトが順調に進んだら物語にならない。
捜査陣は困難にぶつかる。
①捜査権を巡り厚生省と外務省の間で綱引きがある
②外務省の部隊がなぜか無力化される
③容疑者の犯罪係数が低く、ドミネーターが機能しない
②③の理由は、脳内に埋め込まれたチップにある。
ピースブレイカーはディバイダーと呼ばれる脳内チップを利用して人格を分けることにより犯罪係数を下げていた(ディバイダーの通信システムが空中移動施設ラファエル)。
外務省の職員は脳内に翻訳チップを埋め込んでいる。ピースブレイカーはそのチップに憑依して職員を自滅させていた。
私は③を見て、これまでと同じだな、と感じた。
しかし共同作戦で外務省メンバーは他の武器を使いまくっている。
厚生省メンバーも銃をぶっ放すシーンがある。
もはやドミネーターは不要なのでは……、という疑問がちらちらする。
当初私がわからなかった点に戻ろう。
潜入捜査官だった煇イグナトフは不可解な死に方をした。あれは脳内チップに憑依されていたのだ。砺波対煇の戦いが行われていた。煇は煇を保つために自傷し、慎導本部長が介錯した。
その慎導本部長はピストル自殺した。良心の呵責からであろう。博士を死なせ、煇を死なせた。
物語の頂点は砺波対常守のシーンである。
謎が解かれる。
ピースブレイカーが崇拝する神・ジェネラルはもう一つのシビュラシステムだった。
ピースブレイカーがストロンスカヤ文書を欲していたのは、ジェネラルを完成させるためだ。
ジェネラルはストロンスカヤ文書を取り込んで、シビュラシステムに吸収された。
私は『攻殻機動隊』(1995年)を連想した(草薙素子とネットの融合)。
しかしそもそも、シビュラシステムは免罪体質者の脳を取り込んで成長してきたのであった。
ジェネラルを取り込んだのも、これまでと同じと言えよう。
対決シーンから会話を引用しよう。
カント主義者・常守らしい発言である。私は「1st Season」と同じだな、と思った。
これは功利主義の考え方である。
そこに狡噛が現れ、
と言って砺波をあっさり射殺する。
これも「1st Season」と同じだな、と思った。
狡噛が常守の考え方に初めて賛同を示した。
「まったく同感だ」は、「(常守に)まったく同感だ」だったのである。
この点は意外だった。進歩があった。
ここまでは、いつもと同じだな、と思いながら見ていたのだ。
「1st Season」と同じだ、と。
外務省や潜入捜査官やディバイダーなど〝味付け〟は少し変わったが、〝主原料〟は変わっていないな、と。
常守の回心
ところが、ラストが違ったのだ。
ラストを見て私は、ああ、常守は槙島になってしまった、と思った。
シビュラが支配する世界はおかしい、「人の魂の輝きが見たい」と言って法外で犯罪を繰り返したのは槙島聖護だ。
これに対し、カント主義者の常守は法内での対処にこだわった。
あっさり法外に出る狡噛を咎めもした。
その常守が、法外に出た。
そうすることで、法を存続させた(法務省解体の阻止)。
シビュラシステムがおかしいことを世に示すために法を犯す。
自分がやったことは、かつて槙島がやっていたことと同じではないか。
こんなはずじゃなかった。
悲しさと悔しさ。
常守の涙はそういう意味だろう。
それにしても、常守の選択が変わったことは重大だ。
その理由は何だろう。
そうした外的理由もあるだろう。
それにしても、あの時はとどまって、今回はとどまれなかった内的理由がわからない。
あの時と今回とで、常守の内心に変化を与える要素があっただろうか。
ここまで来て、私はふと思った。
「俺は、正しさを求めるお前を信じる」と狡噛は言った。
自分の考えが伝わった、と確認できたから常守は、法外に出てもいい、と思えたのではないか。そして禾生を撃った。槙島や砺波を撃った狡噛と同じように。
この映画には話①と話②が並存している、と書いた。
話① 犯罪者集団をやっつける話
話② 法を守るために法を犯す話
両者の間に関連性がない、そのことがこの作品の弱点と思った、と書いた。
しかし、話①と話②は狡噛の〝変化〟を介して連絡しているのかもしれない。
ピースブレイカー事件を通じて常守の思いはようやく狡噛に通じた。
だから常守も変わった。
犯罪係数の低い常守は罪を犯して法を救った。
罪のないイエスが犠牲になって世界を救ったように(キリスト教)。
それは特異な免罪体質者・常守に与えられた使命だった。
こうなることは「PROVIDENCE(=摂理)」だった、というのがこの作品のメッセージなのではないか、と考えている。
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