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人の暮らしを見て学ぶ~はじめてのWWOOF~/NZワーホリ🇳🇿【22週目】

 どうもニュージーランドでワーキングホリデーをしているのすけです。今回はWWOOFの体験の中で、ホストの方との暮らしから思ったことについてまとめる後編です。もし前編まだ読まれていない方はこちらから覗いてみてください。


暮らしを共にする事で見えること

今回WWOOFを体験できたこと、正直めちゃくちゃ良かった。
これまでNZで過ごしてきた中でも、
とても濃い時間を過ごしたなと思う。

初め、正直ミスったと思った。
就業時間は長く、NZの人ではない、ベジタリアンの食事はまだ口に合わず、ネットもままならないまま、花粉症に苦しむ。

ただ、日々一緒に時間を過ごす中で見えてくるものが変わって、
新しい発見というか、見える角度、自分の中の視座がどんどん変化していった。

これが「経験をする」ということか、そんな感覚になった。
嫌なことが起きてすぐに逃げ出してきた俺からすると、新鮮で、見えてる世界と自分自身が変化していくことが明らかすぎて面白かった。

社会は変わるし、人も変わる

どんなことを見てきたか、言葉にしていく。
着目したいのは、おじいちゃんの性格とホストのパートナーシップについて。

おじいちゃんはとても綺麗好きだった。
髭を生やし、少し赤みを帯びた顔に、短パンと長めの靴下。
いかにも海外のおじいちゃんって感じの風貌。

そんなおじいちゃんの家にはたくさんのルールがあった。
作業をして外から帰ってきた時には、作業着から着替えないといけない。
部屋にある物は床に置かずに、クローゼットの中に入れないといけない。
お風呂を使った後は、壁や床の水滴を取らないといけない。
トイレを使った後は、必ず蓋を閉めないといけない。
壁にもたれかかったり、壁に手を付いてはいけない。

それらは全て、この家が綺麗であるために当たり前にしないといけないルールだった。
これらを徹底して行っているからこそ、今もまだこの家は綺麗であることを言っていた。

おじいちゃんはチーズを作る係だった。
ホストの家では自家製のチーズを作っていて、それを作るのはおじいちゃんの仕事であった。
丸一日、いや二日はかけてチーズを作っていた。

その間、キッチンには無数の大きな鍋と、牛乳を入れたタンクやチーズを作るために必要な道具が散在していた。

チーズを食べることはフランス人にとっては文化なのかもしれないし、この作業をすることはとても優先度が高い作業であるのかもしれない。

ただ、その間、キッチンはとっても狭くなる。
もちろん、毎日の食事は取るし、その間もおばあちゃんが料理をする。
だが、色んなものが所狭しと置かれている中での料理は、勝手が悪そうだった。

尚且つ、液体が飛び散る。
キッチン上やキッチン周りの物は、牛乳や、その過程で生まれた液体が飛び散ってしまっていた。
ゴミの落ちていない床の上にも、指紋ひとつ付いていない壁にも。

チーズ作りはとても大変で、丸一日、二日かけて行うことはとても疲れる。
そのせいもあり、おじいちゃんはその後の二日間、外での作業ができなかった。

およそ何日分の何種類ものチーズとヨーグルトを作ったのかわからないが、かなりの量を作っていた。

代償としての休息が必要であるものの、その間も畑の野菜の世話はしなければならない。
おじいちゃんは出られないので、その分をおばあちゃんが補う。

時期的にすぐに必要な種蒔きや、恒常的に必要な水やり、それらに加えて、何か問題が生じている野菜とかの処置をしないといけない。
一緒におばあちゃんの作業も手伝ったが、毎日満身創痍の働き。
手伝った時間以外にも、おばあちゃんは朝の時間にも一人で作業をしているらしく、「朝は暑くなくて気持ち良いのよ」とサラッと言っていた。

日中は畑作業をしながら、そこから帰ってきて毎日の食事の準備を全ておばあちゃんが行う。
野菜を切って、炒めて、蒸して、焼いて、盛り付けて。

その前に、お皿やカトラリーの配膳はゲストである俺が行って、そのほかの簡単な味付けや盛り付けなども手伝った。
食後の皿洗いはおばあちゃんがやって、お皿を拭いて、元の場所に戻す作業は俺がやった。

食事の時のチーズの出番の時には、おじいちゃんが動く。
チーズを持ってきて、切り分けてくれる。
それと、コーヒーとエスプレッソも。

おそらくコーヒーもなんかこだわりがあるっぽい。
豆か、粉か。

食事の時に、おばあちゃんの畑の進捗を聞いて、
もっとこうやったら良いじゃんとか、これはやったのか?とか聞いてた。

これらの事から、おじいちゃん何なんって思う人もいるかもしれない。
もちろん、俺は何なんって思ってた。

もっと自分もやれよ!って笑

綺麗好きもわかるけど、めっちゃチーズの時に汚してますやん。
ゲストには「何か手伝いがあるか?って聞いて自分で動いてね」って言うのもわかるけど、めっちゃ自分は休んでますやん。
チーズ作りは大切かもしれんけど、その分おばあちゃんが働いてくれたおかげでたくさんの野菜食べれてますやん。

って、正直、は?って思った。
めっちゃ言ってくるけど、言っていることとやっていることが一致していないところが多くて、あんまり気持ちよく受け取れない部分だったり、自分の行動が100正しくて大事だと思って行動しすぎてて、他のことへの配慮がない部分に、人として難しい部分があった。

しかし、
俺をそれだけの認識で留めなかったのが、おばあちゃんの反応。

それらのおじいちゃんの行動や言動にあっても、
「はい、そうですね」って感じで、
全く反論や苛立ちが見えなかった。

いや、すご。
おばあちゃんよくそれできるなって思った。

って思ったけど、もう一個俯瞰してこの状況を捉えた。

もしかしたら、おかしいって思っているのは俺だけで、
二人にとっては普通なのかもしれない。

家の主人であるおじいちゃんの言うことは絶対で、ルールはおじいちゃんが決めて、おじいちゃんが全てにおいて上の立場にあるような構図。ホストとゲスト、然り。
こんな社会の中に今いるかもしれないと捉えた。

現代社会では、男女平等とか、上下関係で人間関係を作るんじゃなくて、相互扶助的な対等さが大事になっている、と思ってるし、そんな世間で育ってきている俺も、当たり前のように、その考え方が正しいと思って物事を判断している。

そういう判断軸にいる俺と、そうじゃない軸にいるホストの二人、全然違う社会の中で生きてきたんじゃないかと思った。

それぞれの生きてきた社会の中での判断基準があって、その中での正しい、違うがあって、それが変化しているんだってことを強烈に実感した。

社会は変化している。
それに合わせて、人も変化しているんだって言うことを間近で捉えられた。

何が正しくて、何が違うってのも、
今までの自分が生きてきた社会の背景によって判断基準が設けられてて、
それは常に変化しているものだってわかった。

これから先生きていく中で、色んな人と関わる機会があるかもしれないけれど、考え方やそもそもの価値観が全然違う人も、背景の社会が違うから、違って当然だって思えるようにしておこう。

社会も人も全部変化するもので、変化しないものはないんだってわかった。

バランスが大事だと思った

おじいちゃんおばあちゃんの世界と、俺の捉えている社会の違いみたいなのを感じた。
その上で、これから何が必要だろうか考えてみる。

ホスト側の考え方は一見強硬姿勢に見えるが、
首尾一貫しているとも捉えられる。
自分の信念とか、軸をブラさないところとか、確実に持っている。

ただそれと同時に、穴も見つかる。
綺麗好きにも関わらず、チーズの時に関しては例外だったり、
ゲストには働いてくれって言うが、自身は疲れ切って動けないとか。

徹底してやるからこそ貫けるものはあり、
その反面で抜け落ちている部分が生じる可能性がある。

これ、意識することがめっちゃ大事かもって思った。

自分のやりたいと思ったことをやり抜こうとするその姿勢と、
前のめりになるからこそ見落としがちになる、
日々の当たり前だったり基本的に成り立ってしまっている数々のこと。

この二つのことが同時に存在しているんだってことを、
忘れちゃいけない気がした。

何でもそう。
自分が正しいと思い切っていて、それを普通にまたやろうとしたら、
別のところで何か課題が存在していたりする。

でも多分、初めからその中間を狙うことは難しくて、何かに夢中になったり、必死になっている時に、いかに自分を俯瞰してみれるか、その姿勢なんだと思う。

今回身をもって感じた。
初めから、このバランスが大事なのにな〜って思って、ここで暮らしていても体感でこんなに得られなかった。
初めは、ホストはどんな人だろうとか、どんな暮らしをしているんだろう、食事は、畑は、とか、ワクワクしながら、経験をしていた。
その中で見えてくる、人物像だったり、パーソナリティの部分。

チーズにめっちゃ情熱注げるけど、今の生活成り立っているのは、おばあちゃんが三食ごはんを準備してくれて、畑の管理もこまめに続けているおかげだよってことに気づけたら、もっと幸せだろうな〜って、ホストのことを勝手に俯瞰していた。そしたら、気づいた。

おじいちゃんだけじゃなくてもそう。
プラスチックを嫌悪する気持ちはめっちゃわかるが、色々な生活用品のなかでそれは使われている。
ベジタリアンとして生活するのも良いけど、身体的にハードモードな生活環境すぎる。

そもそも振り切れる意見を持てることがすごいし、それは真似できないから、リスペクトをしている。
ただ、その上で、自分たちは色々なことに支えられているかもって認めたり、見落としてしまっていることがあるかもしれないと弱さを受け入れる姿勢があっても良いかもしれない。

そうしたら、自分の貫きたい考え方は持ちつつ、その上で弱さを受容しながらしなやかに生きれるのかな。これが、ダブルスタンダードってものなのかな。

最後に

WWOOFの経験できて本当によかった。
日本ではない文化に触れることができるし、自分の中の価値観と外の世界の価値観の違いを感じられる。

実際に生活を共にすることで見えてくることがたくさんあることも、改めてよくわかった。
そんな、経験もすぐに逃げ出さずに、少し耐えて考えたことで、味わえたものだったなと思う。

今回書いた内容は、俺がたまたま滞在できたホストの方であって、全部が全部同じ内容の経験じゃないはず。
色んな経験がまたどこかでしてみたいな。
今度は別のホストのタイプで、新しい経験ができれば。


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