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憧れを清算する。/NZワーホリ🇳🇿【27週目】

 本当はニュージーランドにワーキングホリデーに行きたいと思っていなかったかもしれない。

 現在ニュージーランドにてワーキングホリデーをしているのすけです。2023年も残すところわずかになりました。6月から来ているニュージーランドですが、最近ずっと頭の片隅で思っていたことを言葉にしていこうと思います。これまで歩んできた記録はこちらからのぞいてみて下さい。

ワーホリに行く理由

2022年7月、ワーホリビザが降りた。
2022年9月、ワーホリに行くことを決めた。

行く理由は、今しか行けないだろうなっていう直感。
なぜか今逃したら、ずっと行けないだろうなっていうのと、
他の理由を考えることを避けるように、本能的に行くことを決定させた。

行き先は、ニュージーランドしかなかった。
大学生の卒業旅行で行ったときの、自然の壮大さ、湖の綺麗さが忘れられなかった。流れている空気感もゆったりしていて、人当たりも良かった印象があった。

直感で、住むならニュージーランド、と思って決めた。

正直、これだけだった。
ニュージーランドへのワーホリ行くって決めた理由は、これだけ。
だし、これだけでも十分だっただろうな。

拗らせた

ワーホリに行くと決めてから、
ひたすらに拗(こじ)らせた。

自分を装った。
武装して、周りからの質問に答えられるようにした。
それなりの理由を繕って、ある程度の目的意識を持った上での決断なんだねってみんなに思わせようと努めた。

「農業をやっている身として、パーマカルチャーの暮らしを肌で感じたい」「サスティナブルに関心の高い、NZの人たちからエッセンスを吸収したい」「オーガニックの意識も、国民のみんなはどれだけ持っているのか知りたい」
「自然と共生する暮らしの元で、どんな教育をしているのか見たい」

自分の周りにいる、
両親・家族・同期・友達・彼女・会社
それらのみんなに対して、それなりの自分の理由を並べて、
自分の選択をちゃんと考えて、意図して、進んでいるものなんだって思わせようとした。
本当は別にそんなのは必要ないんだけれどね。

いつの間にか、
そうやって机上に並べている様々な武器が
自分の本当の理由のように錯覚して、
「おれはそれらのことを学ぶためにNZに行くんだ〜!」
って思うようにすらなっていた。

ここら辺から自分の心と体が離れていってる気がした。
自立して、足の裏地面につけて立っている感覚がしなかった。
ふわふわと、流れていっている感覚。

直感を深ぼる

ワーホリ行くって決めたけど、
行く、で良いんだっけ?

2022年末になって改めて考えた。

今年の最初のnoteに、
「今年おれは、それなりの自分から脱したいんだ」
って書いた。

そうやって書いたけど、
なんだろう、もっと違う。
これは本心に届いていないって思ってた。

でも事実はある。

それなりの人生であると感じてしまった上で、どうするか。最近分かったのだが、熱中したり、本気になれないことに対して、熱中できるようになりたいとか、本気になりたいとかを思っているわけではない。
 「なぜそれなりだと感じてしまうのだろうか」の理由を知りたい。まずはそこからだ。もしかしたら小さい頃からの何かトラウマがそう感じさせるのかもしれないし、生まれ持った自分の特徴なのかもしれない。熱中できていないと感じるのも、自分の熱中するスタイルが、ストレートに心の底から湧き上がってくるスタイルでないからかもしれない。だから、理由を知りたい。

ここの部分は事実。

ただ実際は、「なぜそれなりだと感じてしまうのだろうか」の表現は、本当は「なぜ嘘をついてしまうのだろうか」と置き換えられる。

それなりって表現してたのも、実に外側に向けた言葉で着飾ってた。
そう表現するのは怖かったし、認めたくなかったし、認められなかった。
あの時は、嘘をついてしまう自分を受け入れられていなかったから、その表現はできなかった。
でも本当は、「嘘をついてしまう」理由を知りたかったのだ。

嘘をついているってことに気づけた一部始終はこちら▼

それを踏まえると、
おれの直感は正しかった。

もうおれの中の良心が限界だったんだろうと思う。
ずっと外側に向けて虚栄を張る自分に、嫌気が差していただんだろう。
もうこの人生で進んでいく自信がなかったんだろう。
どうにか変えなきゃいけないって思ってたんだけど、変え方がわかんなかったんだろう。
周りからの見られ方を気にするし、評価も気になる。だからこそ、変えられなかったんだよな。

当時25歳。
社会人としても何とかうまく出来ちゃっていた。
でもだから変えるには今じゃないとダメだった。
これからさらに人生は進む。
社会人としてももっと重要な期間に入る。
新しい家族ができるかもしれない。
次のステージに人生が進む。

そういう色んな要素が重なって、
今、人生を変えようって直感的に思っていたんだと思う。

自分を変えてからのモヤモヤ

10月。NZに来て4ヶ月目を過ごす中で、
自分を覆っている殻を破って、
自分を変えることができた。
(詳細は、上のnote内から)

さあこっから、人生始まった。
これからやりたいことも見つかってきて、
ようやく進み出すぞ、と。

だが、
見つけた道の先に、
NZにいる理由があんまり見つからなかった。

もっと、NZのここに行きたいとか、
もっと、パーマカルチャーに触れたいとか、
美味しいもの食べたいとか、サスティナブル学びたいとか、
全然思いつかなかった。

NZに来たいっちばんの目的が達成されて、
自分の歩んでいきたい道が見えた時に、
その先にNZでの未来は見えなかった。

理由は、ここに来た直感が、
自分を変えたい、とか、自分の殻を破りたい、とかだったから。

NZで、何かしたいとか、何か学びたいとか、
海外で、住み続けたいとか、友達が欲しいとか、
そういうのも全部副次的で。
でも来る前は、それは本望で、憧れで、イメージしてたNZでの理想だった。

でも
もう
おれ自体の道が見えすぎて、
方向性が自分の中で見えすぎて、
あんまりNZでの何か、海外での何か、っていうのに
心惹かれていないおれがいる。

「おれNZにワーホリに行きたいってちゃんと思ってたのかな」
って自分でも不安に思った。

なんかもうどうしよっかな〜
帰国するのはこれから友達とか両親とかも遊びに来るからしないとして。

今をどういう時間の過ごし方にしようか、
ずっと頭で考えてた。

やっぱり元々考えてたことはやるべきかな・・・
英語ぐらいは身につけて帰るべきかな・・・
せっかくNZに来て、何かやりたいこととかないかな・・・

考えたけど、もう答え出てて。

おれ自分の周りにいるみんなを大事にするために、みんなのために自分の力使いたいっていう欲求しかないんだよね。(具体的なことはまた別のnoteかPodcastで発信します)

だから、そこに時間を割いていきたいなって今は思ってる。

憧れの清算

NZへワーホリに行くことで、
これを学ぼうとか、これに触れようとか、
色々と憧れがあったけど、今年2023年の内で清算する。

その憧れは、自分の思いも入っていたかもしれないけど、
どちらかと言うと、周りの人たちに自分を正当化させるために作り上げたものだったんじゃないかな。

だから、改めて今のおれに問いて、
自分がやりたいって思うこと以外は、
別に無理してやらなくて良いと思う。

もちろんワーホリに行く決断をして、
色々なものを辞めて、築いていたものも崩して、
ここに来ている、その自負はある。

でも、だからこそ
これからの人生の時間を
良いように繕って作っちゃった憧れとかに費やしていたら、
少し勿体無い気がする。

だから、ここで清算する。
これからのNZでの時間は自分で、自分の使いたいように使う、で大丈夫。

NZに来たのミスったとか、ワーホリ違ったわ、とか全然思わない。
時間の使い方を、もっと自分で使ってこって感じ。

残り5ヶ月。
悔いのないように過ごしていこう。

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