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ありのまま+才能実感の場づくり

 ニュージーランドにワーキングホリデーをしているのすけです。6ヶ月後、一年間のワーホリから帰って、何をしようか・どう生きようかを考えていて、それらを実現するためにアウトプットしていこうかなと思います。
 NZに行く前からやりたいと思っていたことに、NZに行ったことで気づけたことが加わって、少し洗練してきている気がします。(NZ前に描いていたやりたいことはこちら▶︎『「誰もがありのままの自分を見つけられる場」を作り続ける』)


ありのまま+才能実感を掛け合わせる

 元々やりたかった「ありのままの自分を発見する場」を作ることに加えて、「才能を実感できる」事を掛け合わせたいなと思っています。

 理由としては、ありのままでいることと自分の強みを認識することは、密接に繋がっているんじゃないかなと感じたからです。おれ自身も「あなたはあなたらしくいたら良いよ」ってたくさんの人から言ってもらいましたが、なんとなくありのままっぽくいようと思っても、心のどこかでは素になりきれていない自分もいました。

 なんでそう思うかは簡単で、自分と周りの人を比べてしまうからです。これも同じくで、「周りは周りで、それぞれの役割があるから気にしなくて良い。あなたはあなたの役割をしたら良い」って言ってもらいましたが、そもそも自分のできることってなんだ?って疑問が拭いきれず、なんとなく周りのことを気にしてる素振りを見せないようにして、自分は自分らしくいられているから大丈夫って強がっていました。そう思うことで、強がっていることすらも忘れられて、ありのままの自分でいれている錯覚をしていました。

 NZに来て2ヶ月が過ぎ、環境も整ってきて、経済的にも安定してきた時期がありました。そこで、NZから日本に帰った時に何をやろうか?どんなことを仕事にしようか?を考え始めた時に、『みんラボ』というPodcastを聞いて”才能”という言葉に出会いました。そこでは、才能を「ついついやってしまうこと」と定義していて、全員が一人一人持ち合わせている強みであるとディスカッションされていました。つまり、誰しもに才能があり、「ついついやってしまっている」部分に目を向けて自分の才能を実感することによって、自分の活かし方がわかってくるんじゃないかと思いました。

 しかし、「ついついやってしまうこと」は、本人だと自覚することは相当困難です。いつも何気ない、普通だと思っている自分のことすらも超越して、さらに自分に対してのメタ認知が必要になります。表面的なところは捉えられても、思考の癖や行動の仕方など、自分ではそもそも考えてもいないようなところに目を向ける必要があるから難しいです。

 つまり、本当にありのままの自分としてついついやってしまっていることを実感することで、自分の強み、ひいては自分にできること、役割というものを認識できるようになり、周りとの違いも”差”として比べるんじゃなくて、”違い”として捉えられるようになるんじゃないかなと思います。才能を自覚し、その才能が発揮されているありのままの自分自身を受け入れることが、みんなが自分らしく生きる世界を作っていけるんじゃないかなと思っています。

「自分は自分で良いんだ」って思って生きられるように

 NZの圧倒的な自然とそこに流れる空気の中で過ごして、自然体でありのままな自分自身をスッと受け入れられるようになりました。実際にNZで暮らす中で、周りの目を気にしなくて良くなったり、自分は自分であるという思いから、より自然体でありのままな自分でいられるようになりました。そして、その自然体な自分でいながら、人との暮らしを通じて才能に気づけたおかげで、生活の中で現れる自分の才能を実感し、受け入れることができました。

 ありのままな自分でいる感覚を自分で持った時に心が軽くなった感覚がありました。自分では気づいていなかった自分の才能に気づいたり、嫌だなと思っていた自分の弱みや苦手なところも今の自分を形成している一部だって受け入れることで、前向きな気持ちになれます。そうなれた時に、自分で自分の道を進められる感覚になりました。

 思ったのが、ありのままな自分を発見し、さらに才能までも見つけられることができたら、人は前向きに「自分は自分で良いんだ」って思って生きられるはずです。そんな思い描いている世界と、一人一人のありのままで生きて良いと思えている瞬間に立ち会えたら、そんな嬉しいことはないなって思います。
 だって、おれは周りにいるみんなが、自分の事を否定せずに、伸び伸びと生きている世界があったら、とても幸せな気持ちになれるから。

 もう少し派生すると、ありのままな自分でいられるためには、ありのままな自分にさせてくれている周りの人や環境、社会がある上で成り立っていると気づけるはずです。自分にはできないことや、自分の知らない所で頑張っている人や生物がいて、自分が生きている。そう世界を認識すると、自分は自分の才能を活かして何か人や社会に還元したい、できるかもしれないと、考えられるようになるんじゃないかな。それって更に素敵だなと思います。

 ちなみにおれは、野菜を自分で作ってみて実感しました。自分がやってみたいと思って取り組んでみた野菜作り。でも、それを通じて野菜を作る大変さ、野菜がスーパーに届けられるまでの関わっている人やものの多さ、野菜ができる過程で必要な環境。色んな物が相互に関わって、野菜を作ることができるって理解した時に、いろんな人・もの・社会があって自分のやりたいことができるんだなと気づきました。

 場を作って、ありのままな自分を発見して、才能を実感した人が増えて、そういう人が、人や社会のために何かできることはないかなって考えて行動することができる世界ができたら良いなあと思っています。

それまでにやりたいこと

 場作りのために、その前にもやっておきたいことがあってそれを共有しておきたいなと思います。

 まずは、場を作るおれが提供できるものを極めるということ。今の段階で、『一人ひとりを大事にして、それぞれの感情の機微を読み取って、そこからその人を傷付けない言い方で伝えることができること』『自然と場にいて安心感を与える存在であるからこそ、何かを打ち明けても良い、無理しなくても良いと自然と思わせることができること』こんなことは提供できたことがあるかもしれないと思います。でも、それはまだまだなんなのか、なんで必要なのか、どんなことに繋がるのか、あんまり伝えきれないです。だから、極めたい。

 そして、才能を発掘してみたいなあって思う人を増やす。ちょっとでも才能に興味関心がある人を増やしていくために動いていきます。
 ちょくちょく反応はもらえていて、ただまだまだ才能を発掘する技術が足りないから、おれ一人で完全に発掘する所まではできないです。だから、みんなが才能に関心を持ち始めて、みんなで才能発掘ができるようになったら良いなって思っています。最終的には、友達のある行為やある発言に対して疑問を持ち、「それってもしかしてあなたの才能じゃない?」っていう会話が自然発生するようにしたいです。

 ただ注意もあって。ポイントを誤ると、本当はその人の才能はもっと深層にあるはずなのに、一つ手前のところで才能認定させてしまった。となりかねない。だから、限りなくそれが本人の才能だろうなってポイントを見極められるようにするために、もう少しコミュニケーションの部分を学んで、才能だと見極めるポイントを言語化していきたいなって思っています。

 他には、才能を自覚している人と話をして、才能をどうやって発見したか、どうやって活かしているか、を発信していくこと。自分では気づきにくい「ついついやってしまうこと」を探すので、一人での発掘は大分難しいと思いますが、人の傾向や話を聞いたときに、自分がどうだろうなってイメージすることで、才能に近づけるんじゃないかなって思っています。

 そして、おれ自身才能を活かした発信や活動を続けていきます。
 まずは、NZでワーホリしていることを週毎にまとめている『ニュージーランドワーキングホリデー体験記🇳🇿』 は欠かさず続けていく。続けようと思って続けてはいるけど、続けないといけないと思ってないし、緩く日々の体験を応援している友達や家族、お世話になった方に届けたいという思いがあるから続けられている。人の思いに全力で応えたいという才能やコツコツと継続していける才能を発揮しているはずです。

  あとは日々の暮らしで思ったことや感じたこと、経験をラフに語っているPodcast『のすけのラフラジオ』も不定期で続けていきます。才能に出会ってから特に、声は人を表しているというのがよくわかるなと思っていて、声を通してありのままの自分の思いを発信することで、自分もこれぐらいありのままでもいっかって思ってくれる人が増えたら嬉しいですね。

最後に、想い

 なぜこれをやろうとしているのか、書いて終わろうと思います。

 おれはずっとありのままの自分になりたくて自分の心がずっとモヤモヤしていました。何かがずっと引っかかっている感覚、何かに付けて言い訳を自分にしてしまうような感覚。それは、ずっと自分が自分を受け入れきれていないから発生しているものでした。本当の自分は、ずっと自分の中にいて、ずっと自分の蓋の中にしまっている”何か”を見ないフリしていただけでした。それは、「人に嘘を付いてしまう」「見栄を張ってしまう」「話や出来事を盛ってしまう」「知ったかぶりをしてしまう」そんな些細なことかもしれません。でも、そんな些細なことでも、今ままでずっと”そうしてきたこと”の積み重ねで、変えられなくなっていることが、自分の蓋をさらにキツくしめて苦しめていきます。
 その蓋を開けるために必要なのが、”そうしてきたこと”を受け入れて、それによって生まれた才能に目を向けることだと思います。今までのことを無にすることは怖いです。だから、その”そうしてきたこと”も受け入れてあげることで、今までの自分も、ちゃんと自分だと許せるはずです。おれも、”そうしてきたこと”に目を向けて、そんな自分によって得られた才能がたくさんあることを知れました。そして、才能を実感することで、自分の中の蓋がだんだんと緩んでいきます。そして、中に入っている自分の気がかりを認めてあげることで、ようやく自分を知ることができるようになるはずです。

 これはとても大変で、キツくて、難しくて、怖いです。だけど、自分を受け入れて、自分を知ることで、自分も自分で良いじゃんって思えるはずです。絶対に。

 こんなことを思って、この場を実現させていきたいと思っています。少しでも、実現できるように一歩一歩進んでいきます。

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