いかりや英市

昭和47年産まれ。punkやreggaeに影響されて今もコツコツと音楽を続けています。…

いかりや英市

昭和47年産まれ。punkやreggaeに影響されて今もコツコツと音楽を続けています。 https://ikariyaeiichi.bandcamp.com/

最近の記事

バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる㉗番外編。(メンバー募集で出会った??な人たち)

バンドを始めるにはまずメンバーを集めなくてはならない。 今よりも個人情報云々がゆるゆるだった1990年代〜2000年代初頭。 まさにこのnoteで連載している時代の頃は音楽雑誌のメンバー募集欄に思いっきり住所や電話番号といった個人情報が載っていた。 自分も何度か掲載したり連絡したりということがあった。 今回は「メン募で出会った変わった人たち」に焦点を当ててみたい。 ケースその① 「パンクバンドをやりたいと書いているのに、、、」 The Weekenderのドラムを

    • バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる㉖2000年代初頭頃。(カバーした曲その②)

      何本か前の記事で昔カバーしたことのある曲をあげたけど今回はその続きを書きます。   今回はThe WeekenderにVo が加入して4人編成になってからカバーしたもの中心。 例によって音楽的にあまり深い話はできないので、どうでもいいエピソードも入っていますがお付き合いください。 ■The Stooges / I wanna be your dog https://youtu.be/3gsWt7ey6bo?si=Z0ch5eOxp1TKCro8 The Weekend

      • バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。㉕(番外編・ザ・昭和!1980年代後半のある地方高校生)

        すっかり東京の人のような顔をして暮らしていますが自分はド田舎の農業高校卒です。 家が農家ではないのになぜ農業高校だったかと言うと、当時その高校は偏差値が低くて、勉強をしなかった俺が公立で入れる学校の中のわずかな選択肢のひとつだったから。(私立はお金がかかるから親に遠慮した) 授業の一環で農作業をする時間が沢山があった。(日曜日にあることも。しかもサボるとかなり単位に響く、、) 昭和の時代でド田舎の農業高校。 「熱笑!!花沢高校」からバイオレンス要素を抜いて「工業高校バ

        • バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。㉔(私的・西荻窪WATTS周辺の思い出)

          このnoteも2000年代まで進んだけど、少し遡って1996年頃〜2000年代初頭頃の今は亡き伝説の(!?)ライブハウス「西荻窪WATTS」周辺のことを書いてみようと思います。 ※WATTSでは本当に数多くのライブを観たけど、毎回めちゃめちゃ酔っ払っていて記憶が曖昧なところもあるので「なんであのバンドのことは書いてないの!?」と感じる人もいると思うがそこはご勘弁を(今回の記事を書くにあたってネットで調べたりもしたが、当時のことを書き残している人も案外少ないようだ。) 初め

        バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる㉗番外編。(メンバー募集で出会った??な人たち)

        • バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる㉖2000年代初頭頃。(カバーした曲その②)

        • バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。㉕(番外編・ザ・昭和!1980年代後半のある地方高校生)

        • バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。㉔(私的・西荻窪WATTS周辺の思い出)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる㉓2000年代初頭。(The Weekenderでカバーした曲)

          この前(12/2 早稲田ZONE-bにて)久しぶりにThe Weekenderでベースを弾いてきました。 今回の復活!?ライブのきっかけは昔から(西荻WATTS時代から)付き合いのあるZONE-bの店長の五十嵐さんからもらった年賀状。 そこには「今年はウィークエンダーのライブやりましょうよ!」と書いてあった。 それが気になって時折、その文面が頭をよぎっていた。 メンバー同士、お互い連絡を取り合っているうちに活動期間が長かった第二期の面子(Vo.フートク、G.きん君、B

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる㉓2000年代初頭。(The Weekenderでカバーした曲)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編㉑(番外編・「パンクのレコードは壺じゃない」)

          1990年代の終わり頃、この頃は今よりもレコード店が多くてインディーズ、輸入盤を扱う店がたくさんあった。 当時の俺も良く(とまでいかないが)買物していた。 未知の音源に出会うことにはワクワクしたし、今と違ってネットで気軽に試聴なんかできないから当たり外れもあったけど、それを含めてレコード屋巡りは楽しいことだった。 その一方で今思い出しても腹が立つ対応をされたこともある。 買ったCDを投げるように渡された店とか。(今思うとなにかがキマってるような目付きの人だった。もちろ

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編㉑(番外編・「パンクのレコードは壺じゃない」)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑳(ハウスクリーニングのバイト〜The Weekender結成)

          前回、無職で迎えた正月のことを書いたけど、その後とうとう家賃の支払いができるかも怪しくなってきたので、週払いのハウスクリニーングのアルバイトをすることに。 事務所は渋谷にあった。 オバちゃん社長はなにかの宗教の信者なのか?またもや「社内に神棚があるような会社」だった。 社員やアルバイトが部屋に出入りする時は短時間でも(トイレに行って帰ってくるだけでも)「行ってきます!」「ただいま!」と言わなければならないという謎ルールもあった。 オバちゃん社長は時々、神棚に向かって「

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑳(ハウスクリーニングのバイト〜The Weekender結成)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑲(無職での正月帰省。内房線で聴いたbuzzcocks)

          紹介してもらったコーキング職人の仕事を辞めてしまい、またしても無職に。 今までもアルバイトをすぐ辞めたことは何度かあったが、今度ばかりはのんきなことを言っている状態ではなくなってしまった。 無職のまま年末を迎えたがとりあえず帰省をすることに。 実家は千葉県の片田舎だから東京からは片道2〜3千円位で帰れる。 交通費はかかるが実家に帰れば何日かは食事に困らないという、実に情け無い理由での帰省だ。 帰りの内房線の車内、市原あたりの工業地帯に沈む夕陽を見ながらCDウォークマ

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑲(無職での正月帰省。内房線で聴いたbuzzcocks)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑱(番外編・続かない仕事〜20代後半にして初老)

          MOO-COWも解散して、その上仕事も変えたくなった俺はまたしても転職することに。 前から何度も書いている「手に職+バンド活動」に近づけるように何社か面接を受けたが当時、車の運転免許も無く面接には落ちまくった。 「君、転職が多すぎるね」と面接先の社長から軽く説教されたことも。 考えてみたら「正社員希望」だったのに全て適当な私服(+ヒゲづらの時も)で行っていたし、まずはその辺から不採用決定だったんだと思う。 ついでに思い出したけど同時期に元職場の同僚の結婚祝いに全くの平

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑱(番外編・続かない仕事〜20代後半にして初老)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑰(MOO-COW解散)

          建築現場の産業廃棄物置場を見張る仕事ではおっさんに怒鳴られたりしていたが、その時やっていたMOO-COWというバンドは定期的にライブにも誘われCDも出してもらい、上京して組んだバンドの中では一番良いペースで活動できていた。 だが登り調子なのは短い間でバンド内にはなんとなく煮詰まった空気が流れだす。(煮詰まるのが早いだろ) 音楽的な嗜好のズレに加え、ギターのH君がメジャーデビュー予定?のバンドに掛け持ちで加入することになったりして、俺はその時にH君に対して「それなら辞めろ」

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑰(MOO-COW解散)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑯(建築現場での産業廃棄物置き場の見張りの仕事)

          Tさんの紹介で現場の清掃・養生の仕事を始め、職場にはバンドをやっている人も多かったりして、割と気楽に働けていた。 そんなある日、職長から突然の移動を命じられる。 新しい現場は都内某所(気取ったエリア)の駅前再開発。かなり大きな現場だ。 それはいいとしてそこでの仕事は清掃や養生ではなく「産業廃棄物置き場の見張り」だという。 「なんか話が違うなぁ、、」と思いつつ、まだ働き始めたばかりだしすぐに転職というわけにもいかない。 当日、指定された駅前で会社の人と待ち合わせをして

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑯(建築現場での産業廃棄物置き場の見張りの仕事)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑮(MOO-COW初音源〜レコ発)

          前回からまた間が空いてしまった。 なかなかコンスタントに書けていないけど良かったら今回も読んでみてください。 渋谷のレストランを辞めたあと、ちょっと飲食業から離れてみようと思い、他の仕事を探してみることにした。 ちょうどその頃、同じ沿線に住んでいたTさんと出会った。 Tさんはその頃、狂った感じのHCバンドをやっていたので最初は「怖い人なんじゃないか?」と思っていたが話してみると全くそんなことはなく、実に優しい人だった。 「そしたら池ちゃん(俺の通称)俺の仕事先に来る

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑮(MOO-COW初音源〜レコ発)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑭(飲食バイトでの話。宿敵キャプテンA)

          飲食店でアルバイト→徐々に酒浸りに→職場での立ち位置が微妙になっていく。 負のループにはまりつつあった時期にさらに頭を悩ませる人物が現れた。 それはAという青年。 歳は同い年。 やつの好きなブランドはCAPTAIN SANTA。 縁無しの眼鏡をかけ、二言目にはやたらとワインや美食を語る。 妙に高級志向。 ストリート的なものや庶民的なもの、下町っぽいものは最初から馬鹿にしてかかる鼻持ちならない性格。(しかしAの出身はいわゆる下町地区であった) 店の近くにあった町

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑭(飲食バイトでの話。宿敵キャプテンA)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑬(その頃やっていたバイト)

          前回からまた空いてしまった。 最近「老眼」がひどい。 文字を打ってるとすぐに疲れるし、読書をしていてもすぐ目が痛くなってきてしまう。 年相応のこういった身体の変化をまだ素直に受け入れられない。 おそらく長くてもあと30年位で死ぬなと思うと、やりたい事に対して時間が全く足りない。 さて、今回は当時(97〜99年頃)にやっていたアルバイトについて書きます。 ちょっと宗教くさい雰囲気のあった謎の和菓子工場は辞めて渋谷のとあるレストランで働くことに。 そのお店は宇田川町

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑬(その頃やっていたバイト)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑫(MOO-COW中期)

          前回の記事からだいぶ空いてしまいました。 ここ最近の世の中の動向に気が滅入りっぱなしで正直、過去のバンド歴のことなんか書いたところでどうなんだろう?という気持ちになっていました。 自分は良くも悪くもいろいろなことに影響されやすく外的ストレスに弱いのだと思う。 日本の片隅でおっさん一人がメソメソしていてもそんなものはなんにもならない。 知識を得ることを怠らず、自分なりにできることをして日々を丁寧に生きるしかない。 口で言うのは簡単だけどね。 前回はMOO-COW結成

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑫(MOO-COW中期)

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑪(新バンドMOO-COW結成)

          ちょっと怪しめの和菓子工場でバイトをしながらも新バンドの結成は進めていた。 新しく目指すのはメロディックかつ荒々しさもある音。 中でも当時聴いていた音源で一番ピンときたのはGRIMPLEという西海岸のバンドだった。 punk〜hardcoreのもつ疾走感、ストップ&ゴー、メロディックなんだけどザラついた質感やトゲトゲしさもあって一発で気に入った。ジャケの小汚い感じのイラストもいい味出してる。 最近になって再発もされたみたいだけどこのアルバムはpunkが好きな人には幅広

          バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑪(新バンドMOO-COW結成)