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バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑯(建築現場での産業廃棄物置き場の見張りの仕事)

Tさんの紹介で現場の清掃・養生の仕事を始め、職場にはバンドをやっている人も多かったりして、割と気楽に働けていた。

そんなある日、職長から突然の移動を命じられる。

新しい現場は都内某所(気取ったエリア)の駅前再開発。かなり大きな現場だ。

それはいいとしてそこでの仕事は清掃や養生ではなく「産業廃棄物置き場の見張り」だという。

「なんか話が違うなぁ、、」と思いつつ、まだ働き始めたばかりだしすぐに転職というわけにもいかない。

当日、指定された駅前で会社の人と待ち合わせをしているといかにもヤンキー上がりな青年がツカツカと近寄ってきて、自己紹介も何もないまま「〇〇〇〇(会社名)の人?」とぶっきらぼうに話しかけてきた。

この的場浩二を煮崩したような青年がこの現場での上司となるKさんであった。

この瞬間から「前の現場みたいに和気あいあいとはやれないな」という予感がした。

予感はやはり的中。

ここでは現場の産業廃棄物置き場の前に立ち、捨てられたものの内容や量を記録したり、廃材やゴミを持ってきた職人さんにきちんと指定の場に捨ててもらうよう指示する内容なのだが、、。

俺「すみません、金属と木材は分けてくださ、」職人「うるせぇんだよ!バカヤロウ!」

なんてことも。

上司のKさんは同い年(当時25歳)だったがすでに子どもが三人くらいいて、家族を養うために他にも仕事を掛け持ちしており、バンドをやりながらふらふらしてる俺のことなど微塵も理解してくれない様子であった。

上記のような仕事なのでナメられていると成り立たない。Kさんは自分の親父くらいの年齢の一癖も二癖もある職人のオッさん達と渡り合うため常に去勢を張っていたようだ。(もちろんマナーの良い人がほとんどで、怒鳴りつけてくるような人は一部だったけど)

現場ではいろいろな濃い人達に遭遇した。

ある程度仕事に馴染んできたある日のこと。
 
たまたまKさんがその場を外していて一人で監視をしていた時、いつもはKさんの前で媚びたような笑顔で話していたオッさんがいきなり「オウッ!お前、あんまりなめんなよ。Kにもそう伝えとけ!」と恫喝をしてきたり、、。(その次に会った時はそんなことはまるでなかったようにケロッとしている)

なにかというとすぐ武勇伝を話しがちなハツリ屋のオッさん曰く、気に入らない現場監督は「殴る」と出禁になってしまうので「脱がして泣かせる」とのことだった。(どういうこと?)

一人は「胸元に和彫りが覗き目つきも鋭いコワモテ」

もう一人は「黒目がちの小さな目で話し声も甲高くて可愛らしい(ミニラっぽい)」

という「双子の鳶職のオッさん」というのも居たな。(根本敬さんの漫画に出てきそう)
 
現場内ではKさんの他にも上司にあたる人が何人かいて、パンク好きで私服ではThe clashのTシャツを着ている〇〇さん(名前失念)は朝礼の席で少しでもダラダラしている人が居ると、いきなりぶちキレ出したりするので、いくらパンクが好きだと言ってもちょっと苦手だった。  

話し口調で同郷の出身だと分かったJさんは当時もう50歳は過ぎていたが、口を開けばエロ話、パチンコで負けた話、過去に犯したバイオレントな話しかしなかった。

朝礼で〇〇さんにキレられていたサブカル好きそうなSさん(建築現場の気風と合わないタイプ)には自分が辞めるときに何故か「ゼニゲバ」のLPをもらったっけ。

時々現場を視察に来る社長はいかにも修羅場をくぐり抜けて来た風貌+精力絶倫そうな雰囲気だったので陰で「バイアグラ」と呼ばれていたっけ。

しかし折角紹介してもらったこの仕事も思うところあって一年位で辞めてしまった。(紹介してくれたTさんごめんなさい、、、)

だが最後にはみなさんが送別会を開いてくれて、餞別にYAMAHAの「ギタレレ」までいただいてしまった。

直属の上司のKさんとの関係といい、自分ではこの職場に全然馴染めていないと感じていたけど、そう思い込んでいたのは俺だけだったのかもしれない。
意外なこのプレゼントは素直にうれしかった。

ギタレレはいまでも練習や宅録の際に大事に使わせてもらっている。 

改造してピックアップも着けてもらったのでいつかライブでも使ってみたい。

一方でバンドのほうは定期的にライブの誘いも受けて一見順調なようで、この頃よりなんとなくメンバーのやりたい方向性がズレてきたような気がしてきたのであった。





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