見出し画像

バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代編⑲(無職での正月帰省。内房線で聴いたbuzzcocks)

紹介してもらったコーキング職人の仕事を辞めてしまい、またしても無職に。

今までもアルバイトをすぐ辞めたことは何度かあったが、今度ばかりはのんきなことを言っている状態ではなくなってしまった。

無職のまま年末を迎えたがとりあえず帰省をすることに。

実家は千葉県の片田舎だから東京からは片道2〜3千円位で帰れる。

交通費はかかるが実家に帰れば何日かは食事に困らないという、実に情け無い理由での帰省だ。

帰りの内房線の車内、市原あたりの工業地帯に沈む夕陽を見ながらCDウォークマンで聴いたbuzzcocksは何故か妙に切なく響いた。

そんなに切ない曲調のアルバムではないはずだけど。

どうもこの時の気持ちを思いだしてしまってしばらくbuzzcocksを聴けない時期があった。

帰ってももちろん親には無職ということは言えない。

地元の友達と会うでも無し、やることがないから無駄にカレーを作って親に振る舞ったりした。(お節に飽きてカレーが食べたかった)

正月も過ぎ東京に戻って来たものの、さてどうしたものか?

「肉体労働が向いていないんじゃないか?」と思いテレアポのバイトを初めてみるが、電話営業の才能がゼロで2日で嫌気がさしてしまった。

多少記憶が前後するけど、この頃から世に蔓延り出した「派遣」や「登録」のバイトの面接にも何件か行った。

最初の面接先で出て来た係の男性は口調こそ妙に優しかったけど「顔、全身が漫画に出てくるヤ◯ザ屋さんばりに傷だらけ」でどう見てもヤバい筋のお方だった。

その次に面接に行った会社は面接官の中に「こいつメンタル大丈夫か?」と思うくらい滅茶滅茶にキレて怒鳴り散らしてるやつがいて、応募者全員に対して最初から「おまえら!」呼ばわりだった。

ちなみにどちらもメジャーな求人雑誌を見ての応募だ。

今は表面だけはクリーンに取り繕うのが基本の社会だから、ここまであからさまなことは少ないんだろうけど、いくら有名タレントを使って爽やかなCMを作ってイメージを良くしようが、この手の業種の根底は基本、全身傷だらけのお方や、しょっぱなから怒鳴りつけてくるような輩のマインドで成り立っている世界なんだろうなと思っている。

そしていよいよ日払い、週払い系の仕事でも始めないことには家賃も払えなくなりそうな状況に。

続く。

※この頃の楽しそうな写真は一枚も無し。buzzcocksのCDは久々に聴いたら切ない気持ちが混じって来ずに楽しく聴けた。最高にかっこいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?