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[エッセー紹介]堕落論•続堕落論

久々に読書してきました。今日は前々から気になっていた、終戦直後の若者に絶大な影響を与えた無頼派の代表的作家•坂口安吾が書いたエッセー『堕落論』と『続堕落論』を読んできました。

以下、「主な主張」はほぼ本文の抜粋ですが、私が解釈して書き直した箇所や要約した箇所があります。坂口安吾の主張から乖離している恐れがありますが、ご了承ください。

『堕落論』の主な主張

日本人は元来、
最も憎悪心の少ない又は永続しない国民であり、昨日の敵と肝胆相照らすのは日常茶飯事だから、「生きて捕虜の恥を受けるべからず」
とでも命令しておかないと日本人を戦闘に駆り立てるのは難しい。

天皇制は天皇が作ったものではない。天皇は時には自ら陰謀を企むこともあったが、ほとんど失敗しており、概して何もしていない。政治的理由から天皇はその存在が認められてきた。
日本の為政者にとっては、天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、また、自らの威厳を感じる手段であった。

戦争がどんなに悲惨なものでも、人間自体がどうこうなるという話ではない。
現在、特攻隊員は闇屋となり、(貞女は二夫に見えずと言われた)未亡人は新たな出会いを待ち望んでいるが、これは人間が「変わった」のではなく、人間へ「戻って」きたのだ。

人間は誰でも堕落する。それを防ぐことはできないし、防いだところで人は救えない。堕落ほど人間を救う便利な近道はない。

だが、人間は堕ちきれない。人間は堕ちぬくにはあまりにも脆弱だ。結局は旧来の「天皇制」や「武士道」にすがらずにはいられなくなるだろう。それでも堕ちる道を堕ちきることで、(旧来の非人間的な価値観に囚われない)自分自身を発見し、救い出さなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである。

『続堕落論』の主な主張

大化の改新以来、農民は、不撓不屈の精神で、
浮浪・逃亡・偽籍などの脱税を案出してきたが、それによって荘園が起こり、荘園が栄え、荘園が衰え、貴族が滅びて武士が興った。
農民たちの不撓不屈の脱税行為によって日本の政治が変動し、日本の歴史が移り変わった。

旧来の教えでは、農村の美徳は耐乏・耐苦の精神だという。そんなわけあるか。
必要は発明の母だと言う。乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに発明が起こり、文化が起こり、進歩が起こる。
日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏がうたわえて、兵器が発達せず、大敗北を喫した。
兵隊だけではない。
5階・6階でエレベーターを使うのはナマクラの精神だといい、ボタンを一つ押し、ハンドルを回すだけで済むことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびだのとのたまう。馬鹿げた話だ。

天皇制は日本史を貫く一つの制度ではあったが、天皇の尊厳というのは為政者の道具にすぎず、真に実在したためしがなかった。
何故為政者は自ら主権を取らずに、天皇制を取ったのか。それは、自分の欲するところを天皇に号令させて、自分が真っ先にその号令に服従して見せることによって、天皇に服す範を人民に押し付け、自分の号令を押し付けるためである。こうした方が自分が主権を握るよりも効果的に自分の号令を行き渡らせることができるのだ。

この太平洋戦争もそうだ。天皇は実際何も知らない。ただ軍人の意思だけで、満州へ、華北へと戦火が拡大していった。何たる軍部の専断横行であるか。しかもその軍人たるや、かくのごとくに天皇をないがしろにし、根底的に天皇を冒涜しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのだ。ナンセンス!ああナンセンスきわまれり。しかもこれが日本史を一貫する天皇制の真実の相であり、日本史の偽らざる実相なのだ。藤原氏の昔から、為政者は天皇を盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の道具にし、冒涜の限りを尽くしていた。

日本史を顧みれば、常に天皇とは非常の処理に対して日本史の編み出した奥の手であった。軍部も国民もこの奥の手を本能的に待ち構えており、かくて、軍部日本人合作の大詰めの一幕が玉音放送であった。

耐え難きを忍び、忍び難きを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いてら他ならぬ天皇の命令だから、忍び難いけど忍んで負けよう、という。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!

本当は国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。そのくせ、それが言えないのだ。大義名分と言い、忍び難きを忍ぶという。何と言うカラクリだろう。歴史的大欺瞞ではないか。このように国民とて天皇を利用することには慣れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板を悟らずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、人間の、人性の、正しい姿を失ったのだ。

人間の、人性の正しい姿とは、欲するところを素直に欲し、嫌なものを嫌だと言うこと、ただそれだけだ。それが人間の復活の第一歩なのだ。

だから私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。

我々は封建遺制のカラクリに満ちた、旧来の「健全なる道義」から転落し、真実の人間へ復帰しなければならない。堕落自体は悪いことに決まっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。

堕落は常に孤独なもので、他の人々に見捨てられ、ただ自らに頼る以外に術のない宿命を帯びている。しかし、孤独という通路は神に通じる道である。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とはこの道だ。

悲しいかな、人間の実相はここにある。この実相は社会制度により、政治により、永遠に救い得べきものではない。

万人の万人に対する闘争は、どれだけ文明が発達しても決してなくならない。政治やら社会制度やらは目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚だ。人間は常に網からこぼれ、堕落し、そして制度は人間によって復讐される。

人間は無限に堕ち切れるほど気丈でない。何物かカラクリに頼って落下を食い止めずにはいられないだろう。そのカラクリをつくり、くずし、そしてまた人間は進む。堕落は制度の母胎であり、その切ない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。

感想

個人的には『続堕落論』の方が面白く、「主な主張」のところで長々と書いてしまいました。まあ、どちらも非常に痛快で面白かったですね。

特に天皇制については日本史の学者ですか?ってくらい鋭く切り込んでいて、日本史好きなら絶対に響くと思う。

「社会制度や政治によって人間は救われない」と断言しているところもいいですね。結局社会制度や政治に期待するのは他力本願ですからね。そんなものに頼るのではなく、自ら堕落し(≒社会規範から外れ)て、自分を救う(≒人間らしく生きる)。痺れるなぁ。Xに蔓延る政治豚に聞かせてやりたいですね(笑)。


この記事を面白いと思った人は是非『堕落論』と『続堕落論』を読んでみてください。
『堕落論』も『続堕落論』も10ページ程度なので、気軽に読めると思います。

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