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地球儀に描かれた赤道は実際目に見えない(道東6)

真っ白なノートに線を引く

ホールケーキを切って分ける

時計の針が1分動く

ドッジボールのとき、グラウンドにラインを引いて内野と外野を分ける

我々は、ごちゃごちゃしたものに線を引いて、物事を明確にする。
線を引くことで、なんでもないものが意味を持ち始める。

それはそうと、

私の地元、静岡県西部に面白い場所がある。

新所原(しんじょはら)駅

この駅の構内を、静岡県と愛知県の境界線が貫いている。
ホームを歩いていると、知らない間に愛知県に入ってしまうのである。

境界線を跨いだところで、何かが起こるわけではない。
鳥たちは何食わぬ顔で飛んでいくし、そよかぜは涼しげに吹いていく。
線は、人間が便宜上引いたものだ。
我々はこの線にしたがって、家を建てたり、お金を納めたりしている。

我々は、線に救われ、線に苦しめられる存在だ。

根室4日目
我々は、納沙布(ノサップ)岬へ向かっている。

根室にも、線がある。

都道府県境なんてかわいいものではなく、国を分ける線である。

本土最東端の地、納沙布岬に到着した。

水平線上に見える陸地は、北方領土・歯舞(はぼまい)群島である。

太陽が水平線を越えた。
さて、一旦根室に戻ろう。

根室市内には至る所に「返せ 北方領土」のフレーズが散らばっている。

日本とロシアとで国境線の引き方について何十年も揉めていると、教科書に書いてあった。

しかし、根室で見る「北方領土返せ」は、教科書とは別の意味も感じた。

「生まれ育った土地に帰してくれ。」

国家間の「領土問題」というよりも、そこに住む人たちの「当たり前の暮らし」への願いを感じた。

野付の回でも触れた通り、根室近辺には北方領土出身の人びともいらっしゃる。

その一方で、ロシア領にも北方領土出身の人びともいらっしゃる。

混住していた時代もある。

今、四島で暮らしている人々もいらっしゃる。

そんなことなど知らぬ顔で、オオセグロカモメは悠々と飛んでいる。

彼にとっては、「土産物屋さんのおばちゃんが今日もエサを与えてくれるか」の方が重要なのである。

現地に訪れてみると、恐ろしいほど何もない。
大海原と島があり、そこに生き物が住んでいるだけ。

でも、人間だけには線が見えている。
その線で悩んでいる人々がいる。

根室を訪れると、大自然を貫く線が、我々に差し迫る感覚を覚えずにはいられない。

P.S.
小学校の頃、地球儀を指差して、「先生!地球の真ん中にこんな赤い線があるんですか?」って言ってる子、いたよね。


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