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読書:『教誨師』堀川惠子

①紹介

ノンフィクション作家の堀川惠子氏による『教誨師』(講談社文庫、2018年)を紹介します。著者自らが浄土真宗の僧・渡邉普相に取材した本書は、50年にわたり教誨師として彼が死刑囚たちと重ねた対話と告白。生を説きながら、罪人を死へと導かなければならない矛盾がここに。死刑の裏側を炙り出す衝撃の一冊です。

②考察

「最初から、法の決まりの中でわれわれ教誨師になっているわけですから。拘置所っていうのは『人殺し』がついているんですから。その人殺しをね、宗教者も誰も外部の人間抜きでやったら、それこそ本当に人殺しの現場になってしまいますよ」
➢ 死刑執行は側から見れば合法の殺人に他ならない。教誨が死の恐怖を和らげる程度の役割しかなくても宗教者はこの現実と向き合わなければならないだろう。それは彼らが罪人に向けて示すことのできる唯一の慈悲だと思われる。

「真面目な人間に教誨師は務まりません。突き詰めて考えておったら、自分自身がおかしゅうなります……」
➢ ここまで読めば、極限状況における他者に寄り添うことがいかに難しいかが理解できよう。人間は人間を救うことはできない。その前提に立って生を説きながら、二度と日の目を見ることのない罪人たちの死刑執行に加担しているという矛盾に耐えきれなくなることの苦悩が強く滲み出ている。

「本人が執行されても、幸せになった人間は、誰ひとりもいません」
➢ 苦しむのは教誨師だけではない。心ない言葉や醜聞によって被害者遺族も加害者家族も共に苦しむだろう。知らない時間、知らない場所で知らない人間によって死刑が執行される。当然、遺族がその現場に立ち会うことはなく、複雑な心境を抱かずにはいられない。特に被害者遺族は肉親を喪い、どうしようもないほどの絶望を背負って生きていかなければならないのだから。

③総合

このような教誨師の苦悩を考慮すれば、死刑を賛成か反対かの二項対立で捉えることは困難である。日本で合法の死が制度化されて今に至ることをどう考えるかは今後の課題だろう。死を目前に控えた罪人に対して宗教がなし得るのは、その者の「物語」への傾聴か。

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