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読書:『方法序説』R.デカルト

①紹介

フランスの哲学者ルネ・デカルトによる『方法序説』(谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年)を紹介します。いくら物体の存在を疑っても、それを疑う自分自身の存在は疑いきれない。彼が導き出した方法的懐疑は近代合理主義の礎に位置付けられていますが、人間を自然の支配者たらしめてしまったその考えについて私たちは再び議論する必要があるでしょう。

②考察

「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」
➢ 「良識」は理性と同義である。それは後述のとおり人間に対してであって、一つの能力と言えるだろう。良識の程度が人によって異なるように感じられるのは、各々の育った環境や経験、価値観と密接に絡んでいるからか。

「ワレ惟ウ、故ニワレ在リ」
➢ 哲学史上最も有名な言葉の一つである。つまり、物事を考えるためには自分が存在していなければならないということだ。現代の価値観からすればそれは至極当然のことのように聞こえるかもしれないが、デカルトが現れるまでは誰一人として気付かなかっただろう。今日において一般的に「常識」と呼ばれるものは、過去においては決してそうではなく、いかに貴重で奇跡的な発見であったかが窺える。

「(実践的な哲学は)われわれをいわば自然の主人にして所有者たらしめる」
➢ 欧米社会では、自然は征服の対象であるという見方が強い。その考えはデカルト哲学の発展形としての近代合理主義に起因するものか。彼は、人間が他の動物と異なり理性を有している点に、自然の管理者としての地位を見出したのかもしれない。自分の思想が今日の温暖化や環境破壊といった悲劇の遠因になると予想し得ただろうか。

③総合

デカルトは哲学的な思索にのみ心血を注いだだけでなく、演繹法を確立し、動物の解剖を通して人間の魂の不死性を見出すなど、マルチに活躍した人物である。人間という一つの存在を精神と身体の二つに分けて考えたこと(心身二元論)が後世の科学・医療技術の発展に多大な影響を与えたことは言うまでもない。しかしその過程で人間を生態系の頂点に位置付ける人間至上主義が芽を出してしまったことは皮肉である。

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