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書評:『イスラム教再考』飯山陽

①紹介

イスラム学者・飯山陽氏の『イスラム教再考-18億人が信仰する世界宗教の実相』(扶桑社新書、2021年)を紹介します。私たちが日本のメディアを通して知るイスラム教は本当に平和で穏やかな宗教なのか?気鋭の著者がリベラリスト(と呼んでいる他の学者たち)の嘘を暴き、隠された真実を読者に突きつける一冊です。

②考察

・「イスラム教の教義のありのままの姿を認めることと、全てのイスラム教徒が戦争を望んでいるとかテロリストであると決めつけることとは全く異なる」
→事実(客観)と評価(主観)とを混同すると、真の理解から遠ざかり誤解が生じてしまう。特に宗教絡みの事件に際し、人は宗教を極端な善か悪かのみで捉えがち(ゼロヒャク思考)なので要注意だろう。

・「教義で命じられてはいても、実際に異教徒を攻撃するイスラム教徒はほとんどいない」
→飯山氏によれば、過激派の戦闘員になるのは概ね社会的地位のある者だが、あくまで少数派。貧しい多数派にそれほどの気力や余裕はないらしい‥‥‥と聞いて安心するのはまだ早いだろうか。

・「『本当の穏健派』になるということはすなわち、伝統的なイスラム教の教義を否定することを意味します」
→飯山氏が、ほとんどの信徒がイスラム過激派の凶行を黙認している理由をここに見出している点は示唆に富む。ムスリムの意識内に聖俗二元論の考えが存在しないのと同じで、穏健や過激といった概念も無いのだろう。「穏健」はあくまでも非ムスリムの下した一評価に過ぎない。

③総合

どこを要点とするのかは読者によるが、上記の3点を押さえておけば後は読み飛ばしても問題ないと私は考える。ある章の中で飯山氏は、持論に対して書き込まれた他のイスラム学者からの高圧的な意見を誹謗中傷と言い反論しているが、正直どっちもどっちで、要領を得ない押し問答となっており、学界の閉塞ぶりが見て取れた。もっとも、彼女の論敵・中田考氏が唱える「カリフ制再興」には私も賛同できない。『コーラン』に触れて内容を理解すること自体は何も問題ないが、イスラム教が不穏な宗教だというのはクリスチャンとして薄々感じている。

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