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読書:『定訳 菊と刀』(全)R.ベネディクト

①紹介

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトによる『定訳 菊と刀(全)-日本文化の型』(長谷川松治訳、現代教養文庫、1967年)を紹介します。アメリカ人は「罪の文化」、日本人は「恥の文化」に影響されているというのが本書における彼女の説ですが、はたして真相は……

②考察

「『すべてのものをあるべき場所に置く』というのが、日本のモットーである」
➢ 「あるべき場所」は前述の「ふさわしい位置」と同義か。私たち(特に若者世代)の親世代が、男は外で仕事、女は内で家事という歪な役割分担に囚われていた昭和の時代を思わせる。

「『義理を知らぬ人間』は今もなお、『見下げはてた人間』とされる。彼は仲間からさげすまれ、つまはじきされる」
➢ 「義理」とは、「自分の名声を汚さないようにする義務」である。日本人が自らの行動や決断に自信を持てず、他者の反応を気にすることと無関係ではなさそうだ。一般的に「インフルエンサー」と呼ばれる人たちが世間から反感だけでなく好感も持たれるのは、良い意味で「義理」を全く気にせずに振る舞うからだろう。

「日本人は恥辱感を原動力にしている。明らかに定められた善行の道標に従いえないこと、いろいろの義務の間の均衡をたもち、または起りうべき偶然を予見することができないこと、それが恥辱(“ハジ”)である」
➢ このことがすべての日本人に当てはまるとは限らない。「恥」の感情は日本人の何たるかを示す重要なものかもしれないが、精神的支柱にはなるとは考えにくい。むしろ現代ではこれが些細な笑い話に終わる可能性もある。本当の「恥」があるとすれば、それは恥を恥と思わなくなるときではなかろうか。

③総合

ベネディクト自身が一度も来日したことがなく、本書が第二次世界大戦時の捕虜の日本人への聞き取りによるものであることを考えれば、アメリカ人=罪の文化、日本人=恥の文化という見方は疑わざるを得ない。また、「罪悪感」という言葉があることからも明らかなように、日本人は恥だけでなく罪によっても動かされる存在ではなかろうか。およそ60年前の著作ゆえになおさら再考が必要となるだろう。

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