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読書:『国家』(下)プラトン

①紹介

哲学者プラトンによる『国家』(下巻、藤沢令夫訳、岩波文庫、2008年)を紹介します。前回読んだ上巻の続きですね。政治を行う哲学者に求められる善のイデアとは何か。彼は師ソクラテスの口を借りながら「太陽」「線分」「洞窟」の比喩によってそれを解説します。

②考察

「〈善〉の実相(イデア)こそは学ぶべき最大のものである」
➢ このイデアについてプラトンは上記の3つの比喩を用い説明している。私の主観だが、中でも理解しやすいのは「太陽」のそれだろう。彼の説に従えば、私たちが物体を見て細部の形状や色、大きさを知ることができるのは太陽の光のゆえである。それがなければ当然何も掴めない。イデアというのは、認識する側と認識される側がそれぞれ主体と客体であることを明らかにするものか。

「最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるのだ」
➢ 皮肉かな。自由をモットーとしているはずの民主制が自由によって滅ぶとは。民主制が僭主独裁制に転落する可能性があることは2000年以上前に発見されていたようだ。もっとも、これは国によって変わってくるだろう。日本は一応、民主主義国家だが、それが掲げる自由によって国民が不自由さを覚え、困窮していくのは気のせいか。

「魂は不死なるものであり、ありとあらゆる悪をも善をも堪えうるものであることを信じるならば、われわれはつねに向上の道をはずれることなく、あらゆる努力をつくして正義と思慮とにいそしむようになるだろう」
➢ プラトンの言う「悪」は、師ソクラテスを死へ追いやった不正のことをも指しているに違いない(『ソクラテスの弁明』)。彼が死刑判決を受け入れたことが「悪をも(略)堪えうる」の一言に表れているようだ。上の言葉は、神々を信じ正義に生きた師の教えを受け継いだ弟子の思想の集約と言うべきものだろう。

③総合

プラトンの言う「哲学者」は、法を遵守し不正を質すジャーナリストのようなもので、本来統治者とは真逆の立場にある者だ。それが政治を為すことが困難なのは明白である。周囲の意見に流されず、真実を追求することが許されている数少ない職業だろう。

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