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読書:『ニコマコス倫理学』(上)アリストテレス

①紹介

古代ギリシアの哲学者アリストテレスによる『ニコマコス倫理学』(上巻、高田三郎訳、岩波文庫、2009年)を紹介します。歴史上初めて「倫理学」を確立した彼の意識は常に「善」とは何かという問いに注がれていました。師プラトンのイデア論を批判し、幸福の意味を追い求めた弟子アリストテレスの哲学。その全容が明らかになります。

②考察

「幸福こそは究極的・自足的な或るものであり、われわれの行なうところのあらゆることがらの目的である」
➢ 哲学的な意味を排して一般的に考えてみてもそうだ。誰もが幸福のために生きようとする。なお、幸福の捉え方は人によって異なるため、ある人のことを他者が不幸だと決めつけても、本人が幸福ならそれ以上の指摘は無意味だろう。国連が毎年発表する「世界幸福度ランキング」の結果を見ても真に受けるべきではない。

「徳とは、それゆえ、何らか中庸(メソテース)というべきもの――まさしく『中』(メソン)を目指すものとして――にほかならない」
➢ ここで重要なのは、「徳」(アレテー)が情念や能力ではなく、意外にも「状態」(ヘクシス)であるということだ。「中庸」は、内面の嵐が止んでできた凪に近い状態を指すか。向き合い方次第でその継続時間は自分でコントロールが可能になるだろう。

「智慧は、すなわち、それが人間の全体的なアレテーの構成部分であることのゆえに、それを魂の『状態』として所有するところの、そしてそれに即した活動を行なうところのひとをして、まさしくそのことによって幸福なひとたらしめるのである」
➢ アリストテレスによれば、「智慧」(=学)もまた徳と同じく「状態」の一つである。ではどのような人が幸福になれるのかというと、彼曰く、それは智者=哲学者だ。以上の点を踏まえれば、「哲学者」は胡散臭い肩書きというよりはむしろ、一つの「状態」と捉えるべきか。

③総合

アリストテレスが師プラトンの正義論に対して行なった批判が痛烈的でなく穏やかなのが興味深い。やはり弟子というだけあって、それに恥じない程度に師の教えを受容していることは確かだ。幸福の意味を探究すべく下巻へ。

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