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読書:『存在と時間』(上)M.ハイデッガー

①紹介

ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーによる『存在と時間』(上巻、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫、1994年)を紹介します。内容があまりにも難解ですので読むのに根気がいるでしょう。「ある」とは一体どういうことなのか。その問いは精神的な緊張を伴う極めて壮大な旅の始まりに過ぎません。
 

②考察

「われわれ自身が各自それであり、そして問うということを自己の存在の可能性のひとつとしてそなえているこの存在者を、われわれは術語的に、現存在(Dasein)という名称で表すことにする」
➢ よく読んでもピンとこないが、「現存在」なるものが本書の内容を理解する上でのキーワードであることは確かだ。噛み砕いて言うとそれは「自覚・自問する力を、自分が存在していることの一根拠として備え存在している者」であり、すなわち人間のことを指しているか。デカルトのあの名言を彷彿とさせる。

「われわれが現存在となづける存在者の存在の意味として挙示されるものは、時間性(Zeitlichkeit)である」
➢ ハイデッガーによれば、人間が自らの存在を認めるためには「時間」が必要となる。「時間」があって初めて人間がいるということか。「時間は存在しない」とか「時間は人間が作った」という声を最近よく聞くが、それが良いかどうかはさて置き、彼がそれら新説のもとを確立した一人であることは肯けるだろう。

「現存在の存在規定は、われわれが世界=内=存在(das In-der-Welt-sein)となづける存在構成をもとにしてアプリオリにみとどけられ、かつ了解されなくてはならない」
➢ 人間が存在するためにはルールが要る。私たちが世界の「もとにある」ということが生まれつき認められなければならないというのがそれだ。ここではさらに「内=存在」という構造の理解が前提であり、人間と世界とが親しい間柄であるということが導き出されるのである。

③総合

ハイデッガーに影響を与えたフッサールの現象学に触れてもう一度本書を読めば今回よりも理解が深まるだろうか。とにかく難解で手が止まりがちだが、「存在」の深淵に迫るべく下巻へ。

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