何も”意外”じゃない。

自分は何か自分のことを話すと必ずと言っていいくらいまず「意外。」言われる。
確かに人の雰囲気や外見で何をやっていそうか、何が好きそうかはなんとなくわかることが多い。
しかし、毎回「意外。」と言われる自分は他人が自分に対して描くイメージを毎回綺麗に裏切っているということになる。

思うに、そもそも誰かが自分の発言に対して「意外。」と思うほど自分に関する情報を提供した覚えはないのに、なぜこうも毎回「意外」と思われるのだろうか。
原因は、自分が自分のことを話さなすぎるからだろう。そして他人にとって自分はほぼ空想の人物でしかないのかもしれない。

何十年と生きてきて最近気がついたことがある。
それは親にもやたらと「意外」がられることだ。なんて子に無関心なのかと悲しくなった瞬間もあったが、親には親なりの理由があった。

ほとんどの親が一番記憶に残っている記憶は子が小さかった頃のことであろう。だいたい小・中学生くらいの頃である。本人が覚えてなかったこともかなり覚えているし、大人になってから聞くと「自分ってこういう人だったんだ。」と学ぶことも多い。
しかし、親の記憶をここまでだ。
それ以降は本人も自我を確立し、自分としてそれなりに自覚を持って人生を歩んでいく。そうすると小・中学生時代の自分がフィルターとしてかかっている親は「意外」攻撃を連発するようになる。

流行りの髪型にするも、「変だ。」

ちょっといい服を買うも、「そんなんにお金をかけるな。」

tiktokの踊りをやるも、「お前はダンス部なのか。」

と。

子の変化に「いいね。」「かっこいいね。」と言える親と、「何してんの。」「服は全部しまむらでいいだろ。」としか言えない親とでは、子の育ち方もだいぶ変わってくると思う。

わが家は圧倒的に後者だった。ツッコミ感覚ではあるものの、確かに元・若者の親がそう言いたくなるのも理解はできる。自分も数個下の子にそういった感情をすでに抱いている時がある。
しかし、こういうのはしょうもなくても今の時代の流行であり、それを受け入れられないのはニュースを見ないのと同じくらい無知であることだということを知っていただきたい。

結局、言いたいことは30歳くらいまでは子がやること・やっていること・やりたいことはツッコまず、時代の鏡を見るように「こういうもんなのか。」と受け入れてほしい。
そして50歳になってまだJKの流行を一生懸命追っていたら、その時は存分にツッコんでほしい。

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