見出し画像

移住を決意するまでのお話

長い自己紹介をはじめます。いかに私が平凡でポンコツか、もしかしたら誰かに共感してもらえるかもしれないという淡い期待をもって書いていきます。

新卒の頃

私は生まれも育ちも静岡。東京に憧れて大学・就職と東京を目指しましたが、静岡が私を離してくれませんでした。

私は新卒で某全国チェーンのお店に入ったのですが、私が入ったあたりから業績が急下降。在籍した3年弱でボーナスは1回、残業代は当然未払い、知り合いの先輩社員がある日いきなりクビを切られる、そんな状態でした。

当時より付き合っていた夫は私よりも6年先輩で、それなりに責任ある職だったので、待遇はもっと非情でした。

結婚を視野にお付き合いをしていたので、「この会社にいて本当に幸せになれるのか?」と疑問を持った私たち。結果、会社が早期退職を募っていたので2人揃って退職の道を選びました。

退職したものの

晴れて自由の身となった私たち。彼は「自分の手で何かを生み出したい」と考えていたので職業訓練校へ。私は、「事務職に就いてみたい」と転職活動を開始しました。

職業訓練校へ通うようになった彼は本当に熱心に学んでいました。実習に行った会社でもみんなに良くしてもらい、楽しそうでした、

しかし、くしくも時代は「リーマンショック」の真っ最中。

彼は就職予定だった企業から断られてしまい、私自身も就職が全く決まりませんでした。

パワハラ/モラハラ/ブラック

彼は職業訓練校を卒業した後、必死に就職活動をしてとある工場へ入社しました。私は、正社員にこだわるのを止めパートや派遣社員として、いろいろな会社で働くことにしました。

ようやくこれで前向きに生きていけるのでは?と思ったのもつかの間、私たちはそれぞれの場所で、それぞれひどい目にあわされました(笑)

私の場合は「ひたすらパワハラ・モラハラ上司にあたる」呪いをかけられていたようで、行く会社どこでも出勤が辛すぎて眠れなくなりました。朝が来るのが怖くてひたすら夜更かしを続けました。

彼の場合は「ザ・ブラック」。サービス残業当たり前・休日のサービス出勤当たり前・昼夜逆転生活・上司からのモラハラと、最悪な環境。あまりのストレスに体重はいっきに落ち、身長170センチで体重は50キロを切ってしましました。精神的にも不安定になり、風呂場からは彼の唱える念仏が聞こえてきました。

私はパワハラ上司の呪いに数年かかっていましたが幸いその後、「怒鳴る人が誰もいない」会社で派遣社員として働くことができました。夜も眠れるようになりました。

一方、彼の方はブラックな環境でひたすら耐える日々。

ただ、彼は出会ってしまったのです。塩見直紀さんとイケダハヤトさんに(笑)

田舎で暮らしたい

私たちは静岡に暮らしていましたが、彼の実家は兵庫県。大学は京都へ行ったので、静岡には何の愛着もありませんでした。「将来は京都の田舎に暮らしたい」、それが彼の口癖でした。

しかし、塩見さんとイケハヤさんの本に出会った彼は「田舎で自分の力で稼ぐ人生を送りたい」と言い出したのです。

次回・・・「田舎に暮らしたい彼」と「静岡を離れたくない私」をお届けします

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?