「空が綺麗だ」

 暖かな太陽の日差しも、晴れた空の青さも、道端の花も街も君も、ただ生きていてふと気がついた時にはますますうつくしさが増していて、困ってしまう。このままいけば死ぬ頃にはどうなっているのだろう。どう考えても脳の容量が感受性に追いつかずパンクしてしまっているに違いない。

 もうこの二本の脚で青空の下に立つことは永遠に敵わないかもしれないと本気で思ったあの永遠の連夜に光が差した日の、あの空が蒼くて蒼くて。「天気が良いですね」「空が綺麗ですね」と知らない誰かに話しかけたくなった。私がどんな容態でどんな人っぽいのかについての思惑を抱く間なく、ただその言葉をそのままに受け取ってくれる誰かが絶対に居ると思ったから。どうしてお年寄りがよく気候風土の話をするのか、どうして祖母がよく今日の空は綺麗、今日の雲の形は綺麗、と言っていたのかわかった気がしたから。もっと早く知りたかったような、早く知りすぎてしまったような。「空が綺麗だ」とわざわざ歌う歌手も「空が綺麗だ」とわざわざ書く小説家も、絶望を超え過ぎてきてしまったのかもしれない。
 
  自分の愚かさをまたひとつ思い知る度、花の、街の、君のうつくしさが反射して跳ね返り、キラキラと瞬いてわたしに降り注ぐ。わたしはまだまだ、見たことないうつくしい空の色が見たい。

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