夏の新緑はクローバー【詩】

夏には100年前から飽きてる。夏は夏を想い夏に焦がれる季節のための季節。夏は待つためのもの。待つ女なんていうものはなにをやらせても駄目だ、いつの時代も。 ひと夏の恋の相手はいつも、低俗で最悪な世界一の王子様だ。暑い夜で沸かせた頭で人間が思い付くことなんて、人類が今まで100億回は繰り返してきたおんなじ過ちだ。歴史を学んで知ることは、人は学ばないということ。成長しないということ。愚かだということ。だからこんなしょうもない世界でも人は絶滅せずに次の世代へと子孫を残す。次の時代を知らないまま、次の時代で長く長く鼓動を鳴らし響かせる命だけを残す。次もどうせおんなじことの繰り返しなんだから、と勝手に柔い妄想を抱いて。 どんなに低俗な人でも高尚といわれる人でも、自分の想いと主義を示すのはいつだって言葉だ。人は言葉に救われては騙され、騙されてはまた救われる。何度も傷つけられてはまた何度も愛してしまう。その言葉、その声の殆どすべては雑音だ。だから、そんなものに気を留めて傷つく必要など毛頭ないのだ。自分がすきな音だけをすきでいて、信じて、愛しておけばいい。   君は咄嗟の切り返しで「すきな数字は4」と言った。わたしにとって、君のその声ただそれだけが、雑音ではなく本物の音だった。君の音は世俗を知らない、空気中の埃の粒さえ知らない水だ。天然水だ。サラサラと流れ落ちて通り過ぎる前に、わたしは両手で必死になって凹をつくり、なんとかその水を受け止めた。こころのすべてで受け止めた。その天然水が、今もまだ、ずっとわたしの殆ど大半を造っている。君の水は、君の音はとてもしたたかで、わたしのこころにしたたり沁み渡り続ける。この瞬間も、わたしなかをぐるぐると循環し、気持ちいいほどに浄化してくれる。わたしは君の水が山頂から少しずつ滴り、河口へとだんだん脈を大きくして流れゆく音を聴いき、夏の川のその新鮮な冷たさに浸りながら、心地よく夏をゆめみている。 流れるプールに流されたい、乱雑に切られたスイカを食べたい、新しい人に出会いたい、終わりを待つ花火がみたい。夏はぜんぶ君に似てる。君みたいだ。  君は、世界をしらない光だ、水だ、季節だ。君だけが本物であると信じる、このなにをやらせても駄目なこころだけが、わたしの事実であり、わたしの本当であり、明日もわたしを生かしてくれる血液なのである。わたしも君のように、おおきなエネルギーでおおきく脈打つ身体で生きてみたい。夏くらいは夢でおわらせず、夢のその一歩先へ足を踏み入れてみたい。  だから、わたしは学ばない。 玄関を一歩出た世界に在るものは何故かうるさい、うるさい、うるさい五月蝿い五月蝿い。こんな世界を選んだ記憶もないのに。わたしは手のひらを両耳に被せぎゅうと痛く押し付けることで慣れた苦痛に微々と顔を歪ませ、雑音を凌ぎ続ける。 これ以上は絶対に、いらない音を聞かせて来ないで。余計なこと、言わないで。

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