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戦後の闇芸者

戦争が終わっても、物資の統制は続けられていました。しかし、戦時中と異なるのは、闇市にあらゆるものが出回り始めたことです。

そのうち飲食店も復活、昭和20年12月には博多高等料理屋組合の会員は58軒まで増えています。

酒、料理とくれば次は女と行くのが男の常ではあります。

元芸妓達は許可がなくても働きはじめます。

そんな彼女達は闇芸者と呼ばれました。

戦前に発令された高級享楽停止令は解除されておらず、違法だったのですが、福岡では独自の見解で芸妓を宴妓と名を変えて認めました。

料亭や飲食店は繁盛しますが、材料はほぼ闇ルートで仕入れたものでした。

こうした料亭の食料確保は配給機構を乱すという理由で、昭和21年7月には料理屋、飲食店の休業が命じられます。

その後、一人当たりの飲食料が45円以下を守るなら、営業を許可するとされました。

大きな料亭はこれではやっていけないというので、旅館に転向したとこが多かったそうです。

飲食店が政府の決め事で振り回されるのは、いつの時代にもあったようです。



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