芸妓と娼妓
芸妓と娼妓、芸子と遊女。
もとは共に、同じ宴席に侍る女性でした。
違いは芸を売るか身体を売るかです。
遊郭ができた当初は遊女が歌も舞も演じていました。
江戸時代の太夫と呼ばれた人達は、歌、踊り、三味線などの芸事も一流でないとなれませんでした。
それから、大阪で芸子と名乗るものが現れ、身体は売らずに芸をメインで売り出します。
女郎は「色が表で芸が裏」芸子は「芸が表で色が裏」などと言われました。
遊女は帯が前結び、芸子は後ろ結びということで区別されていたそうです。
江戸時代は、遊女よりも芸子のほうが格下でした。
「身体が売れないから芸を売るしかない」
と芸子は遊女に見下されていました。
しかし、次第に芸子のほうが上になっていきます。
芸を身につけるのには時間がかかります。
好景気だった大正時代に、芸も何もできない女性を店に出し始めたのも影響したのかもしれません。
また、芸子の人たちの芸が認められてきたこともあると思います。
明治も後半になると
「芸ができないから、身体を売るしかない」
と娼妓は芸妓に見下されるように変わっていきました。
娼妓も芸妓も売れる為には大変な努力か才能が必要だったのは、今も昔も変わりませんが。
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