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CCD(民間検閲局)の仕事内容

戦後、GHQが日本人の思想改造を目的として設置したCCD(民間検閲局)。その東京オフィスで働いていたという方にお話しを聞いたことがあります。

検閲は1チーム20名ほどで行われており、70くらいのチームがあったそうです。

東京の検閲局は丸の内の中央郵便局内にあり、働いていた人は東大、京大、慶応などの高学歴の人達が多く、年齢も様々でした。

大学教授、精神病院の医者など、社会的地位の高い方も多かったそうです。

手紙は読んだ後、問題がないものはテープで閉じて印鑑を押して再配達に。

内容に問題があったものは、英語に訳してGHQに提出していました。

共産主義思想を取り締まるものが多かったそうです。

これは話を聞いたKさんがCCDにいたのが1948年なので、ソビエトとの関係悪化により、共産主義思想の取り締まりが重要視されていたからだと思います。

大部屋の窓際には日系二世やアメリカ人の方が監督でいたそうです。

給料は6000円から7000円くらい。

当時、朝日新聞の新入社員が月収3500円ほどの時代でした。検閲局内にはダンスホールやイベントホール、お風呂まであったとか。

かなりホワイトな職場だったようです。

CCD内にはコーラスグループを始めとしたいくつものサークルもあったとか。

休みの日にはピクニックやハイキングに行ったり、クリスマスにはコンサートが開かれ、GHQの職員も観にきていたそうです。

仕事に関して、外部に漏らすなという注意は受けていませんでした。(これは時代によるのでしょう。Kさんより前(1946頃)にCCDに入った方は厳重に注意を受けていたそうです)

女学校時代の知り合いの下級生がGHQ側にいて、進駐軍の車に乗っていたのを見たことがあるそうです。実は帰国子女であったことを後で知ったそうで、戦時中は学校内で黙っていたが、戦後になってGHQに協力していたのではないかと言っていました。

写真を見せていただきましたが、みんな良い笑顔をしていました。

同じ日本人の手紙を検閲することに対しての罪悪感も働いている当時は、それほど無かったそうです。

自分が何をしていたのか気づいたのは、随分と後になってからだとおっしゃっていました。




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