見出し画像

躁うつ時代を生き抜く創作術14 -「無才」であることが、創作の最強の武器である

何かを創作するにあたり、まずぶち当たる壁といえば「才能」です。

僕は絵を描いたり、文章を書いたり、インタビューしたり、トークしたり、あとはバンドでベースを弾いたりしているんですけど、ありがたいことに「伊地知さんは多才ですね」とよく言われます。

なにか創作をやるにあたって「才能がない」「自分には才能がないから、創作なんてできない」
そう思い込んでいませんか?

でも、本当にそうでしょうか?

実は、「無才」こそが、創作における最大の武器になり得るのです。

でも、僕自身は、いろいろ創作をしていますけど、「才能があるからやっている」という感覚はないんですね。

僕が絵を描き始めたのは、ほんの偶然がきっかけでした。重度のうつ状態で、毎日毎日毎日、ただバイトに行き、誰とも話さず、自分の体調向き合って「うつ状態にならないため」の日々が続いていた時のこと。何かに没頭することで、少しでも気分を紛らわせたくて、ふと手に取ったのがパステルでした。

子供の頃以来、絵を描くことなんてほとんどありませんでした。
だから、最初は本当に稚拙な絵しか描けませんでした。「こんなものが絵なのか」「もうパステル画なんてやめよう」と何度も挫折しそうになりました。
それはSNSに絵をアップするたびに、他人と比較していたからです。
僕は絵の素人だったのに、いつの間にか、無意識に、絵の上手い人たちと、同じラインに立って、自分の絵と比較していた。今思い返しても恥ずかしくなります。

でもある日、「そもそも才能なんてないんだ」と開き直ってみたんです。
「下手でも全然いいじゃないか。ただ自分が表現したいものを、目の前の自然を、自分なりに描けばいい」と。
その瞬間、なんだか釈然とした気持ちになれたんです。なにかを受け入れられた気がしました。

それからは、自分の感情をただ素直に絵に表すことだけを考えて描き続けました。理屈抜きで、ただ色を重ねていく。そのうちに、自分でも予想していなかった色使いや、形が生まれてくる。
「無才」に立ち返れたからこそ、自由に表現できる喜びを感じられたのです。

こうして振り返ってみると、私の創作の歴史は、「無才」と向き合い、それを引き受ける過程そのものだったように思います。

僕には音楽の才能もないし、巧みな文章術の才能もない。

でも「無才」であることを忘れず、練習を継続することはできる。
「才能がない」と悩むのではなく「才能なんかどうでもいいんだ」とある種の覚悟を決める。
その覚悟が、新しい表現への扉を開いてくれました。
だからこそ、純粋に創作を楽しめるようになれた気がするのです。

「無才」ゆえに、自分でも、これでいいのかと不安になる時もある。
それでも、「無才」を信じて表現し続けるのです。
そこにしか、自分だけの表現は生まれないのです。

まず、僕たちは「無才」であるという前提に立ちましょう。
「無才」だからこそ、すべてを自由にできるのです。
「才能がある」と思い込んでいる人は、時として自分の殻に閉じこもりがちです。「自分らしさ」という名の枠にとらわれ、新しいことに挑戦するのを恐れてしまう。
「自分らしさ」などありません。「個性」とは「個性がある」という現代社会の幻想の上で成り立っている"まやかし"です。

「無才」と開き直ってみましょう。「才能」なんていうつまらない枠に囚われる必要はありません。
下手でも、稚拙でも、自分の表現したいことに素直になってみましょう。
目の前にある自然や自分の中に渦巻く感情に、真摯に向き合ってみましょう。アカデミックなことや、テクニカルなことは取っ払って、ひたすら素直に「創作」しましょう。

「才能がある」と評価される人の中には、無意識のうちに、世間の価値観や評価基準に縛られてしまう人もいます。
「無才」の目線は、そんな固定観念から自由です。常識にとらわれない、型にはまらない表現を生み出せる。
それこそが、「無才」ならではの強みなのです。
人の評価は気にせず、「無才」である自分を愉快に、俯瞰視点で見てみましょう。「無才」であるあなたを評価する他人も、また「無才」です。

「才能がない」と卑下するのではなく、「無才」を引き受ける。
自分には「才能」という看板がないからこそ、プレッシャーから解放され、創作を純粋に楽しむ心の余裕が生まれるのです。

「無才」を受け入れるのは、ある種の勇気が必要です。周りと比べて、自分を「才能がない」と認めるのは、簡単なことではありません。
しかし、その「無才」を引き受ける覚悟こそが、創作の扉を開く鍵になるのです。「才能がない自分」を肯定する。
そこから、自由で、独自で、楽しい表現が生まれる。そんな創作の醍醐味を、存分に味わってみてください。
「才能」はどこかで有限ですが、「無才」は無限です。

「才能なんてない」と嘆くのではなく、「無才だからこそできること」に目を向けてください。新しい挑戦をするのに、怯える必要はないのです。まずは一歩、踏み出してください。
そこに、創作の新しい地平が広がっているはずです。

もし今あなたが自分のことを「私には才能がない」と思っているなら、それを恥じる必要はありません。
むしろ「無才」であることを誇りに思ってください。
あなたにしか描けない絵があり、あなたにしか書けない文章があり、あなたにしか奏でられない音楽があり、あなたにしか綴れない詩があり、あなたにしか生み出せない言葉があるのです。

「無才」だからこそ生み出せる、かけがえのない表現が、この世界には必ずある。

まずは、その「無才」を武器に、自由に、存分に、創作を楽しんでください。
きっと、今までにない新しい自分に出会えるはずです。


最後に、僕の著作とサイン会のお知らせです。

僕は今年、自身の躁うつ病との向き合いを綴った『躁うつ病患者の遭難日誌』を上梓しました。この本には、うつ状態の中で見出した「無才」という生き方、そして創作の喜びが記されています。

もし、この記事を読んで「無才」という生き方に共感いただけたなら、ぜひ私の本も手に取ってみてください。きっと、「無才」を引き受け、創作を楽しむためのヒントが見つかるはずです。

下記のリンクから試し読みもできます。

また、2024年3月23日(土)には、著書の刊行を記念したサイン会を開催します。

日時:2024年3月23日(土)14:00〜16:00
会場:シスターフッド書店Kanin
住所:京都府京都市左京区北白川堂ノ前町1 デュー・北白川 105
参加費:無料(予約不要)

当日は、「無才」と向き合いながら創作を続ける喜びについて、みなさんとゆっくりお話ししたいと思います。「才能がない」と悩んでいる方、創作に行き詰まりを感じている方、ぜひお気軽にお越しください。

みなさんとの出会いを通して、新たな「無才」の世界を発見できることを楽しみにしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?