見出し画像

面倒くさくてもやらなきゃいけないこと。

自炊は本当に面倒くさい。でも、自炊をしなくちゃ生活費は続かない。外食ばっかりしてちゃ、お金は続かないし、健康的じゃないし、きっと牛丼ばっかり食べてしまう。しかも普通の牛丼じゃあなくて、チーズ牛丼とか、高菜明太マヨ牛丼とか、変わりダネのやつばっかり頼んじゃうだろうし、きっとセットでサラダなんか頼まない。バランスを考えた注文なんかしない。きっとそうだ。だから、自炊しなければならない。僕は約10年前に実家を出て、それまではただの男子大学生だったから、栄養バランスなんてものを考えずに、生活していた。カップ麺(一平ちゃん)ばっかり食べてたし、昼飯をリッツで済ます日もあったし、酒を飲み、二次会で酒を飲み、3次会のカラオケで酒を飲み、友人の家で酒を飲み、朝方に友人たちと連れ立って朝の松屋に行くのが当時の定番だった。その時も朝定食なんか頼まない(今は朝に松屋に行ったら、定食を頼む。松屋の朝定食は素晴らしい)朝から牛丼だ。朝に定食なんか食うものか。俺は牛丼、最低でも(何が”最低でも”なのか不明だが)豚丼を食ってやるんだという意思があった。つまり栄養のバランスなんか考えていなかった。

しかしながら、二年前に体調を崩してから、僕は否が応でも栄養について考えるようになった。栄養が精神に直結していていることを知った。言わずもがな、肉体の好調不調は栄養バランスに左右されることを悟った。今は、体の反応が全てだ。今まで、己の”肉体”を意識して生活していたことなんてなかった。20代前半の頃は二日酔いにもならなかったし、せいぜい持病の偏頭痛くらいなものであった。ところが今や、二日酔いにもなるし、気圧の変化で頻繁に頭痛になる。自然と体は直結しているんだということを思い知る。つまり、己の体と自然のバランスを考えて生活しなければならぬ。そういう年齢であり、そういう体質になったのだ。

だから、自炊せねばならぬ。ところがこれが大変に面倒臭い。

二年前に自動調理の圧力鍋を買った。これが我が家では大活躍だ。こいつは野菜を切って、何かしらの肉を入れるだけで、何かしらの料理にしてくれる。「焼く」以外の調理をしてくれるので、ものすごい便利である。ものすごく重宝している。文明バンザイ。人類の勝利だ。

ところが、最近、この「野菜をまな板で切る」という最低限の調理工程すら、面倒くさくなっている。明らかに退化である。

今日はカレーを作ろうかな、と思っている。しかし、カレーには多種多様な野菜が入っている。じゃがいもは皮剥きをしなきゃいけないし、あ、にんじんもか。たまねぎも切らなきゃならない。肉も解凍しなきゃいけないし、鶏肉は切ると手が生臭くなる。でも、”切る”という工程をクリアさえすれば、圧力鍋くんが全て調理してくれるのだ。彼は優秀だなあ。肉はほろほろになるし、玉ねぎはいい感じに溶けて、”ちょうどいい”美味しいカレーを”ほぼ自動”で作ってくれる。彼は天才である。

あとは、僕が野菜を切るだけだ。この”切る”という工程のめんどくささ。誰か楽しくなる秘訣を知りませんか?


今日のパステル画『夷川船溜の前の木』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?