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躁うつ病時代を生き抜く創作術0 -はじめに

エッセイを書き終わりました。

今日からこのnoteは新しいテーマで書きます。
と、いいつつも、実は全くテーマは決まっていないんですね。
とりあえず書き始めた。
そんな感じです。
一体何を書こうとしているのか、何を書くのか、まったくもって未定なのですが、まあ、とにかく書いてみようと思っています。

今日も絵を1枚描きました。最近は1日2枚ペースで書いていたのですが、今日は雨で、とにかく低気圧がひどくて、午前中はパステル画作品集の発送作業をしていました。
映画を見ながら。『真夏の夜のジャズ』という映画をかけながら。
それで昼ごはんを食べて、昼寝をして、お灸をして、それで今日は午後から絵を一枚描いて、今、こうしてキーボードを叩いています。
それが今です。

そうして書いていたら、何だかタイトルが浮かんできました。

『躁うつ病時代を生き抜く創作術』

というシリーズをはじめてみようと思います。

僕は躁うつ病=双極性障害という病気なんですね。
それで、僕はこの躁うつ病と向き合いながら、というか戦いながら、もうはや3年〜4年くらいの月日が経とうとしているんですけども。
というのもですね、僕がこの双極性障害という病気を診断され、つまり自分の身に降りかかっている得体の知れない不調の正体が精神的な「病」である、と、自己認知したのが3〜4年前だという話であって、おそらく前々から、さかのぼれば学生時代、いや、子供時代にも、似たような症状に悩まされていたし、社会人になってからも、同じような症状で苦い経験をいくつもしてきました。
それは、あくまで、僕が双極性障害だという認識をしていないだけだったんですね。
つまり、僕は、昔から躁うつ病だった、ということなんです。
でも、これはあくまで僕個人の認識で、今や確かめようもない。過去の自分をお医者さんに連れて行って、診断してもらう。
そんな藤子・F・不二雄的なアクロバティックな技は現実的に不可能なわけです。

僕は毎日絵を描いていて、それは僕と同じ持病を持ちながら芸術活動をしている坂口恭平さんという方の生活を模しているんですが、自分でも作家活動を始めて、いろいろな方と関わらせてもらうようになって「今、メンタル疾患の方、増えていますよね」という話題がよく上がるんです。
あいにく、僕は医者じゃありませんし、医学者でもありませんし、僕はメンタルヘルスを「治療する」活動はしていませんから、それがどこまで事実なのかはわかりません。
しかしながら、僕が躁うつ病という病気を表明して、作家活動をしている、僕の確認できる範囲では、そうおっしゃる方が増えているなあ、という肌感覚があります。

創作は、そんな病気と向き合う日々にも「光」をもたらします。

僕が創作活動を始めたのは、病気になって間もない頃でした。うつ状態で何もできない日々が続く中、僕はふとしたきっかけで、パステルを手に取ったんです。子どもの頃、クレヨンで絵を描いたことはありましたが、大人になってからは絵を描くことなんてありませんでした。ですが、一度、はまってしまうと、僕はパステルを描くことに夢中になって、その時は無心で紙に色を塗り重ねていました。

それから少しずつ、絵を描くことが日課になっていきました。
上手く描けない日もあれば、自分なりの表現ができた日もあります。
びっくりするほどうまくいって、そんな日は「今日は手に神が宿った」と小躍りしました。
とにかく毎日描き続けることで、少しずつ自分の気持ちを整理できるようになったんです。

創作が光をもたらしてくれる、のですが、それは、自分の内面と向き合う時間が持てるからだと思います。言葉にするのが難しい感情も、絵にすることで形になる。気持ちを口にする前に、文章にしてみたら、自分でも気づかなかった思いに出会えることがある。だから、創作は自己理解の手段であり、自分を励ます方法にもなるんです。

もしあなたが今、同じように苦しい日々を過ごしているなら、ぜひ創作することをしてください。絵でも、文章でも、音楽でも、何でもいい。ただ自分の気持ちに素直に向き合って、表現してみてください。どんな形になるかは、始めてみないとわからない。
「俺、なにやってるんだろう・・・」と思う瞬間もある。

「創作」は煉獄です。地獄でもなく、天国でもない。
ひたすらに辛い時間が続くだけかもしれない。
なにも上手く表現できない時間が続くかもしれない。

でも、それは、かけがえのない自分との対話の時間になるはずです。
だから、怯えず、まずは創作への第一歩を踏み出してみてください。

僕の躁うつ病は「完治」していません。というよりも、どうやらこの病気の場合「完治」という言葉は当てはまらないらしく、「寛解」という言葉を使うらしいんですね。
「寛解」は「完治」ではなく「全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること。」くらいの意味らしく、つまりいつでも「再発」する可能性を秘めている。そんな状態らしいんです。
僕には今のところ「寛解」という診断が下っているわけではないのですが、今は気分が穏やかです。今はね。
しかしながら、月に一回くらいは「鬱」の症状がやってくる。これはどうやら避けようがないことらしく、月に一回の「鬱」さえ乗り切っちゃえば、あとはまあ、元気にやっているのですが、いつ「鬱」がやってくるかわからないので、一日の大半を自分の体の観察に使っています。
絵を描くのも観察で、文章を書くのも観察です。
今や「観察」=「人生」になっているんですね。

躁うつ病時代。みんながみんな、メンタルヘルスに問題を抱えている、とは僕は思わないのですが、やっぱり、自ら、表明して活動していると、自らの経験を、症状を、話してくれる人がいる。僕も躁うつ病に、まだ、苦しんでいます。
僕は僕自身から逃げたいと思う瞬間は何度もある。
でも、自分からは逃げられない。
とにかく自分を観察し続けるしかないんですね。

果たして、今が躁うつ病時代なのかは、僕には定かじゃありません。下手にメンタルヘルスの「治し方」について書くことはできない。僕は医者じゃありませんから。そして治せる気もしない。
でも、躁うつ病をなんとか「生き抜く術」を書くことはできるな。
そして伝えることはできるな。
そう思いながら、今書いています。
「躁うつ病時代」も、今の時代という意味合いでもいいし、僕自身が経験した僕自身の「時代」と受け取ってくれてもいい。

そこは自由です。

最後に、最近、描いた絵もアップしておきます。

『信号機#2』
『交差点』
『橋』
『街』
『雲』
『街#2』
『四条大橋』

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