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「適応障害」の診断を受けてから半年経った今、僕は「他力」に頼ることにした。

こんにちは。カラムーチョ伊地知です。

僕は半年前、「適応障害」という病名を診断されました。

適応障害というのはこんな感じの病気なんですね。

適応障害とは、ICD-10(世界保健機構の診断ガイドライン)によると「ストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」と定義されています。
ストレスとは「重大な生活上の変化やストレスに満ちた生活上の出来事」です。ストレス因は、個人レベルから災害など地域社会を巻き込むようなレベルまで様々です。
また、ある人はストレスに感じることがほかの人はそうでなかったりと、個人のストレスに対する感じ方や耐性も大きな影響を及ぼします。つまり適応障害とは、ある生活の変化や出来事がその人にとって重大で、普段の生活がおくれないほど抑うつ気分、不安や心配が強く、それが明らかに正常の範囲を逸脱している状態といえます。(厚生労働省『みんなのメンタルヘルス』より引用)

平たくいうと、通常の日常生活を送れないほど精神的に著しいストレスを抱えた状態、というわけで、僕は半年前、それにかかってしまったわけです。

そこで、今回は、「適応障害」と診断されて半年たったので、まず、発症から現状までをなるべく冷静に振り返ってみようと思います。

ほぼ『ペルソナ5』の記憶しかない発症当時。

「適応障害」と診断されたてホヤホヤの、半年前の僕のnoteを見返してみましょう。

みなさんどうでしょう。「コイツだいぶ追い詰められてんな・・・」感がビンビンに伝わってきますね。

実際のところ、僕はだいぶ追い詰められていました。適応障害などに罹らられた方は経験がおありかと思うのですが、マジで体が思い通りに動かなくなるんですよね。洗濯物を畳むだけで息切れがする。洗い物をした後はソファにぐったりしてしまう、などなどなど、ひとつの作業で、信じられないほどの疲労感に襲われます。僕にとってまさに未知の体験でした。

妻に連れて行ってもらった心療内科で受けた診断は「適応障害」。即座に自宅での絶対安静が命じられました。僕はみなさんより一足早く自宅で「Stay Home」することになったんですね。

オフィシャル的に「Stay Home」することになった僕は、一日中、家で療養することになるのですが、この頃はマジで『ペルソナ5』をやっていた記憶しかありません。

ぼーっと手を動かさずにテレビや映画を観ているだけでは、自然と今後のこととか、自分の病気のこととか考えてしまって辛い。しかし、頭が働かないので、文章を書いたり
、楽器を弾いているのも辛い。

そこで、ゲームというのは、「何も考えなくていいけど、手だけは動かしている状態で、現実とは違う世界に浸れる」ので本当に助けられました。

(『ペルソナ5』はシンプルにいいゲームでした。しかしながら、「え、嘘でしょ・・・?」というほど序盤のストーリーがしんどいので、心のキャパシティを超えないように、ヒイヒイ言いながら進めました。)

思わぬところで「パラレルキャリア」に救われる。

僕は「パラレルキャリア」をテーマにしたWebメディア『ニソクノワラジ』を個人的に運営しています。発足当時は会社員だったので、僕も「パラレルキャリア」でこの『ニソクノワラジ』をスタートしたわけですが、「適応障害」の療養という面において、パラレルキャリアには本当に助けられました。

なんにせよ「適応障害」の療養中は自己肯定感の低下が著しいんですよね。仕事もしていないわけだし、積極的に家事もできない。

「俺って本当に社会になんの価値も生み出していない人間だな・・・」という気持ちが首をもたげてくるわけです(メンタル的にもそういう気持ちになりやすいんですよねえ。これが。厄介なことに)

しかし、この『ニソクノワラジ』のおかげで、「自分と社会との繋がり」を確認することができました。自分で立ち上げたwebメディアなのにこれには救われました。

(特に11月にインタビューをさせてもらった鈴木悠平さんの「生存戦略」の話は今でも僕のメンタル面の指標になっています)

もし『ニソクノワラジ』をやっていなかったら、もっとズブズブにメンタルの泥沼にはまっていったかもしれません。パラレルキャリアはキャリアをもう一つ構築するためだけじゃなく、予期せず社会から離脱してしまった時にも役に立つんだな、と感じました。インタビューなどがなかったら、「社会的孤立感」からより絶望的な気持ちになっていたかもしれません。

本当にこの時期にインタビューを受けてくださった方々には感謝をしています。ありがとうございました。

結果的に、僕は「他力」に頼ることにした。

「適応障害」になる前までは、僕、無意識的に「自力で生きよう」としていたんですよね。仕事上でも、プライベートでも、結構大きな変化が訪れて、それを自力でなんとかして生きていくのがが大人の努めだ、と無意識的に思っていたんですよね。

しかし、「適応障害」になって、結局のところ、僕がこうして社会人として現代社会に居場所があるのも「他力」のおかげなんだ、って気がつきました。自力、限界がありました。

就職も、転職も、そして、比較的自分が好きな仕事ができるのも、「自力」であるという無意識的かつ錯覚的な傲慢さが僕の中にあったんだと思います。

結局は先日のnoteに書いた「縁」の話にも通づる部分ですが、

それは結局「縁=他力」のおかげなんですよね。

「他力」のことが頭になかった半年前、僕は「適応障害」になってしまいました。「誰かに頼る」ってことが頭に浮かばないほど、視野が狭くなっていたんですね。

「適応障害」は「自力」と「環境」の摩擦によって起こるもので、特にコロナ禍の今、人知れず苦しんでいる方もいるのと思います。

僕はこの半年、『ニソクノワラジ』や他の機会で出会った方々の「他力」によって随分と救われましたし、「自力」でキャリアを築こう、という時代に、僕は早くも脱落(この言い方が正しいのかはわかりませんが)してしまいましたが、「他力」によって拓ける道もあるんだな、と改めて気づきました。

「他力」は「自力」の対極にあるのではなくて、平行線にあるもので、時と場合によって、その平行線の上をフラフラしたって良いんじゃないでしょうか。

僕はこれからも「他力」に頼り続けていこうと思っています。

そして、僕自身も現状に苦しむ誰かの「他力」になることができたら。こんなに嬉しいことはないです。

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