旅に奇跡やドラマが生まれる理由
世界一周の旅を始めてから1年。あっという間に26カ国。
ところで最近思わぬところで、自分が影響を与えていることを各所で知ることになる。「飯塚先生の旅の様子をインスタで見て僕も旅をしたくなりました」「今一番憧れているのはNao先生の生き方です」とか、高校生のみんな、正気ですか?
まあ、ありがたいけどね、そんなこと言ってもらえると照れてしまうよ。ちょっと襟を正して、しっかりしないといけないと思いながらも、今日はラオスのデット島で、昼飯食べて、昼寝して、夕方に起きてメコン川で泳ぎ、シャワーを浴びて、また軽く昼寝。今は、氷入りのLaoビールを飲んで、軽く酔っ払いながら、これを書いている。襟、ヨレヨレ(というか上半身裸じゃん)。
高校生の琥太朗と1ヶ月旅をして気がついたことでもあるけれど、僕の旅は特徴があって、そこに熱狂してくれる人と受け入れられない人で分かれるのではないかと思う。琥太朗は結構楽しんでくれたみたい。
この記事では琥太朗との1ヶ月の旅を振り返りながら、僕自身が自分の旅がどういうものか書いてみようと思う。この考えに少しでも共感できるならば、ぜひスタツアとか旅同行とか大歓迎っす。
他国の文化を受け入れることで自分が変容する
どの国を旅をしても文句を言ったり、イライラしたり、苦しんでいる人がいる。東南アジアを旅する欧米人は「F◯CK!!」とか「Crazy!!」とか言って、「私の国ではあり得ない」と言う。この気持ちは正直すごくわかる。自国よりも劣ったサービスや環境に出会ったときにカルチャーショックを受けることがある。時間通りに来ないバス、全然対応してくれない店員、質の悪い食べ物などなど。先進国から発展途上国に旅すると起こりがちだ。逆に先進国に行くと僕らはアジア人差別を受けることがある。
宗教や文化の違いでもショックを受けることがある。僕の場合はパキスタンのアッラー絶対的な考えを押し付ける感じ、ネパールでの学校の体罰は、体が拒否したような感じだった。でも、そこで拒否すると旅の体力が持たない。なぜこの国の人たちはこの文化なのだろうかと思いを馳せ、少しでも受け入れていくしかない。
僕のスタツアや旅では、拒否してしまいそうな文化でも、それを受け入れてもらう。ホームステイ先で朝ごはんを食べないならば僕らも食べないし、その国で肉を食べないならば僕らも食べない。
琥太朗はポーランドでクセが強めなホストファミリーの分かりにくい英語や態度に苦しみ、旅が始まって1週間も経たないうちにお母さんに電話して「帰りたい」と弱音を吐いていた(笑)フィンランドでは、食中毒になり一刻も早く日本に帰りたい気持ちだったと思う。ただ、どれだけ受け入れられないことでも、逃げられないのが旅というもの。
琥太朗がすごかったのは、ポーランドでのホームステイでもホストファミリーの仕事をするという楽しみを見つけていたこと。「仕事中は英語話さなくて済むじゃん」らしい(笑)。おいおい…。
フィンランドでは、病み上がりで精神的に辛かったはずなのに、バルト海沿いのサウナに行きたいと彼から提案してきた。他国の文化を拒否して引きこもることもできるけれど、彼は文化や状況を受け入れて前へ進んでいた。それは自分が受け入れられないことを、受け入れて自分が変わっていくように見えた。琥太朗が元々そういう力を持っていたとは思うが、旅をすると、自分を環境に合わせていく推進力をより手に入れられる気がする。
「〜すべき」ではなく「〜したい」を大切にする
もちろん、僕が「お前が変われ」と強要することはない。実は琥太朗との旅でもこんなことがあった。
ポーランドで英語がうまく話せなかった琥太朗。ホストファミリーの話す英語が、普段聴いていた英語とは異なる訛りのようなものがあり、理解するのが難しかったと思うし、その状況が苦しかったと思う。僕も一応元英語教師として、最低限の英語のマナーやどうやったら会話が続くかなどを彼に教えた。しかし、英語を話すことを強要すればするほど、琥太朗の顔が辛そうになっていく。
それでも彼をポーランドの家庭に馴染ませないとと考え「明日までに英語で質問を10個ほど作っておいてね」と言って、翌日にそれとなく確認したら、琥太朗がほとんど質問を作っていなかったことを知り、イラッとしてしまった。
琥太朗との旅は、ポーランドでホームステイ、ドイツでもホームステイ、デンマークでは学校でふたりで授業を行う予定だった。英語を話せないとドイツでも、デンマークでも琥太朗は困ることになると彼の将来を心配し、勉強することを求める。少々辛いかもしれないけれど、これも彼のためだと思い、英語を話すように強要する。そして話せない琥太朗を見てイライラしてしまう。
この辺で、僕は自分の中で違和感を感じ始めていた。この旅は琥太朗を成長させる目的の旅ではなかったはず。彼がそれを求めているわけでもないし、僕も彼の変化や成長を望んでいるわけではない。しかし、ドイツのホームステイはともかく、デンマークの学校で英語を使って現地の子に教えることは決まっているから、彼の英語をどうにかしなければいけないと思い込んでいた。
そんなときに、ポーランドに雪が降った。今年の冬は暖かく、珍しい雪。
「雪が降ってるよ」と琥太朗に話すと彼の顔が、雪を溶かしてしまいそうなくらい明るい顔に輝いた。ほんの1センチほど雪なのに、こんなに喜ぶんだと笑いながらも、ふとある考えが頭に浮かぶ。それは行き先の変更だった。
デンマークの学校に僕らが行くことは約束済み。琥太朗は高校の卒業式の出席のために帰国するので、コペンハーゲンから日本への便も予約済み。普通だったら予定を変更して行き先を変えるのはリスキーだ。でも、琥太朗が雪を見た時の嬉しそうな顔を忘れることができなかった。
「デンマークの学校に行くのやめて、雪深いところに行く?英語を頑張って話すよりも、琥太朗がやりたいことをする旅の方がいい気がする」
そんな提案をすると、琥太朗は「そうしたい!」と即答。そして僕らは行き先をフィンランドに変え、オーロラを見ることを目標に、旅の計画を立て直し始めた(もちろんデンマークの学校には事情を説明し、納得していただいた)。
あんなに英語の質問作りが進まなかったのに、フィンランドのことになると鼻歌混じりに調べ物をする。ああ、僕はこの顔が見たかったんだと。この時に彼のお母さんに送ったラインがこちら。
こうやって、「〜すべき」を捨てて、その子の核となる「〜したい」を見出し、旅の計画の変更をしたことで、僕らはフィンランドで「オーロラの奇跡」と出会えたわけ。すごいでしょ、まじで。英断。
勘違いしてほしくないのは、僕は子どもがやりたいと言ったことを何でもかんでも「いいよ」というわけではなく、僕がその子の心の中にある小さな火を見つけ、そこに薪をくべ、息を吹きかける。そうやって小さな火を大きくしていく。それが自分の役割だと思ってる。琥太朗の心の中にある火は大きくなり、こういう笑顔になった。よかった、フィンランドに来て。
この段落は長くなったけれど、これは僕の教育哲学でもあり、誰かと旅する上で最も大切にしている部分でもある。もちろんスタディーツアーの中で急に予定を変えたりはしないけれど、その代わり、予定がない日や時間をたっぷり用意することで、参加者の心の中の火をどう大きくするか僕が判断する余白を残している。
不確実だからドラマや奇跡がある
全て自分で予定を決める旅行とパッケージされたツアー旅行は、それぞれに利点と欠点がある。
自分で決める旅行は、とにかく楽しい。ホテルもレストランも自分の好みに合うものを選べるし、ツアーよりも安い。そして日々、一瞬一瞬で、どっちに行くか、何を食べるか、誰を信頼するかという決断を多くしなければいけないことで、自分の感性が磨かれていく。スポーツをやっているような感覚に近いかもしれない。騙されたり、素晴らしい出会いがあって、一喜一憂しながら、また決断をする。
対して、パッケージされたツアー旅行は、とにかく楽。何も考えなくていいし、快適だ。バスに乗れば、観光地やレストランに連れて行ってくれて、しかもハズレがない。決断をしないことがこんなに楽ならば、それにお金を払ってもいいと思えるほど快適なのだ。感性は磨かれないが、心や体力が削られない。
僕はどちらがいいとか悪いとか言うつもりはない。正直、どちらも好きだ。世界一周中のほとんどの日々は自分で行き先や食べるものを決めるけれど、アイスランドでは1日観光ツアーに申し込み、100ドルほどで一日中観光地を周り、大満足だった。
琥太朗との旅では前者の旅の形だった。旅行ルートを自分たちで決め、バスや電車の予約をしなければいけない。ホテルも自分たちで予約する。毎日が決断の連続で、それをふたりであーだこーだ言いながら決めるのは楽しかった。ハズレの宿を引いてしまった時の琥太朗の辛そうな顔は忘れられないし、当たりの宿を引いてふたりでガッツポーズしたのもいい思い出。
だから、僕の旅は不確実とも言える。極端な例で、これはあまり自慢できることではないけれど、フィンランドのイバロではホテルの予約が1ヶ月間違っていることに、チェックイン直前の夕方になって気がつき、相当焦った。
イバロはレストランも夜10時に閉まってしまい、朝になるまで何とかレストランで過ごすこともできない。ホテルの数も少ない場所なので、今から予約できるホテルがないかもしれない。このままだと氷点下の中、凍死してしまうのではないかという不安に駆られながら、ホテルを琥太朗と探すことになった。
テンパる僕に対して、琥太朗は比較的安めのホテルを見つけ、気がついたら予約までしてくれていた。ホテルに到着してみると、キッチンもついていて料理ができる。プライベートサウナまでついている素晴らしい場所だった。朝も夜もサウナに入り、日本から持ってきた醤油を使って肉じゃがを作った。最初からこの宿を予約していたら味わえなかった嬉しさを感じながら、僕たちはイバロを楽しんだ。
さて、フィンランドに来たのはオーロラを見るため。しかし、残念ながら僕らの滞在期間は全て曇りか雪予報。オーロラが見える確率は極めて低かった。それでも何度も何度もオーロラ情報のアプリを見ては、外を確認しに行く。
最終日の夜。僕がふと外に出てみると、月と星が見えた。琥太朗に「こた、月と星がキレイだよ」と言って、琥太朗が外に出てくると「Nao、あれオーロラじゃない?」と呟く。僕が驚いて、彼が指差す方に視線を向けると、そこには美しい緑色の光が輝いていた。驚いて、写真を撮っていたら、2分足らずでオーロラは雲に隠れていた。
僕たちは「すごい!奇跡じゃん」と叫び、抱き合った。偶然、その宿に泊まることになり、偶然、雲が晴れたタイミングで僕が外に出て、偶然、琥太朗が見つけてくれたから出会えた奇跡のオーロラ。
もしホテルの予約を間違わずに取れていたら、もし琥太朗が違うホテルを予約していたら、オーロラは見れていなかったはず。不確実で困ることもあるけれど、余白がある旅だからこそ、ドラマや奇跡が起こり感動があるのだ。
というわけで、飯塚直輝との旅、魅力的に感じる人とそうでない人に分かれそうでしょ?もしあなたが魅力を感じたらスタツアや旅の同行も考えてみてください。お待ちしています!
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