Little Women
アメリカでは確か12月25日のクリスマス公開だったはず。見ようと思いながらタイミングを逃してしまい、結果日本での公開を機に見ることになった。
この映画には余りにも沢山の事についてのメッセージがあり、鑑賞しながら頭がいっぱいになった。原作は19世紀に書かれたものなのに、21世紀を生きる私たちにこんなに痛いほど鋭く思いをぶつけてくる。
この時代を生きる女性の人生は、確かに今の女性の生き方は大きくかけ離れている。でも今の女性は果たして19世紀の女性より決して自由になったと言えるのかしら。
幸せの定義は今だってとても限定的で窮屈だ。目には見えなくても、私たちの手足をぎゅううと縛っている。選択を迫られたとき、私たちはついつい世間のものさしで生き方を決めていないか。
ジョーの抱えているものや思っていることはすごく私に共通するところがある。私も、いわゆる女の子が求める幸せを自分が掴む姿が描けない。それよりも、本の世界に生き、映画の世界に生きたいと思ってしまう。
でも、たまになんとも言えない「寂しさ」が襲ってくるときがある。だから、ジョーが最後の最後にローリーにすがってしまった時、私は弱いときの自分を見ているみたいで息が止まりそうだった。
ジョーとローリーが結ばれなかったのは正しかったと思う。
お母さんが言ったように、ジョーのローリーに対する思いは「愛」ではない。
彼女がローリーを受け入れようとしたのは、彼女の寂しさがそうさせたのであって、それは彼女の弱さだ。周りの価値観にとらわれずに好きなものを好きと胸を張っていた彼女が弱さに負けてしまった瞬間だ。
だから、そんな弱さが筆をとらせたローリーへの手紙は、ローリーの手に届かなくてよかったのだ。
彼女が弱さに負けてしまったあの日が、2人の運命を決める日になってしまっていたら、そんな悲劇ってないだろう。
私たちは、自分たちが求めているもの、自分たちが本当に愛おしいと思えるもの、それに気づくことがこんなにも下手な生き物だ。周りの評価や価値観、自分自身の弱さに目が眩み、本当の幸せがわからなくなってしまう。
でも、他人の意見に依拠した「幸せ」なんて空虚で、偽物で、虚しい。
だから、私たちは目を閉じて、感覚を研ぎ澄まして、じっと耳をすませなければいけない。
私は何が欲しいのか、何をしたいのか、何を大切にしたいのか。
周りの騒音でかき消されそうになる自分の声にしっかり耳を傾けてあげるのだ。
いつの時代だって、変わらない。本当の幸せって、そういうことだ。
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