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電車の窓に映る自分が完全におっさんだった。

電車の窓に映る自分が完全におっさんだった。あまり完全なおっさんだったもので、二度見してしまった。そのあと愕然とした。正直、大きな声を出したかった。おっさんおるやん! おっさんやん! うわっ、うわわわっ、超おっさん! 真・おっさん! おっさんリアリズム。などと、車窓に映る自分を指さして一人で騒ぐおっさんを見たら、周りの人はどう思うのだろう。それは、こう思うのだろう。

「完全に、頭おかしいおっさんやな」。

嗚呼、口惜しい。「完全なおっさん」から、「完全に頭おかしいおっさん」にグレードアップしてもうてる。こんなにも短い間に。そして「完全に頭おかしいおっさん」になってしまったら、もう引き返せない。「完全なおっさん」だった頃がなつかしい。あのときは良かった。犬を撫でたり、ドングリを拾ったりして、とても良かった。だけど「完全に頭おかしいおっさん」になってしまったらどうか。狂気によってATMなどへの破壊行為を行ったり、ゴムホースで余人をぐるぐる巻きにするなどの傷害行為を行う可能性が否めぬのは、完全におっさんの頭がおかしいからである。だからぼくは、完全に頭がおかしいおっさんになりたくないなあと思い、さもなくば完全なおっさんの方で寧ろよかったわ。うふふと胸を撫でおろし、そう思うのである。

しかしそれはウソである。真っ赤なウソである。真っ赤なおっさんのウソである。真っ赤なTシャツを着たおっさんのウソである。かどわかされて二択クイズの片方を選んだだけで、わたしこそ被害者である。それは決してわたしの望んだ“答え”ではなかった。そりゃあ、そうでしょう。だれが好き好んで「完全なおっさん」という自己認識をやすやすと受け入れられましょう。できれば否定したい。無理ならば、もう少し猶予がほしい。ドーナツを食べたり、お昼寝をしたりして、そいつが目を離した隙に、脱兎の如く逃げ出したい。だけどそれも叶わぬことと悟るのは、現実のぼくは46歳であり、2歳年上の妻と思春期バリバリの息子がおり、小さな会社を経営しており、鎌倉市内に購入した土地に家を建てようとしており、「お世話になっております」から始まるビジネスメールをもう何千通も書いてしまっている「まごうことなき」おっさん、超おっさん、真・おっさん、おっさんリアリズム文体を駆使するちっちゃいおっさんであり、もはやこう言うしかない。

「はじめまして」。

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