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予知夢のあと

 人は夢を見る。いつだって夢を見てる。俺はそう思う。夢を抱き、今日を生きてる。俺もその1人だ。だけどふと思うのだ。なぜ人は夢を見るのだろうと。

 この世に意味のないものなんてない。誰かが言っていた名言らしい。だとしたら、俺の見た夢には、どんな意味があるのだろうか。

 俺は予知夢を見ることができる。数日後、数ヶ月後の時もあるし、何年後かに現実に起こることもざらにあった。
 もちろん、まったく辻褄の合わない夢や非現実的な夢もある。それは誰もが見る変な夢で、まず現実に起こることはないと思う。


 俺の見る予知夢は、天変地異とかいうド派手なものじゃない。
 友達と学内を歩きながら講義が終わった後、何をするかと話している夢。
 あの子が何か話したら、俺はこういう風に返すという夢。
 大きな身振り手振りで、周りの演者を笑わしている有名人をテレビで見ている夢。
 本当に地味な夢だ。


 だけど、セリフも、景色も、夢で見たそのままだった。それを何度も経験してしまうと、あの予知夢に出てきた場面には、自分の人生に何か重要な意味があるんじゃないかと思えてならない。
 ただその場面が予知夢と気づくのは、実際にその場面が終わってからが多かった。
 しかも全然予知夢で見た場面と出会わない場合もある。どの夢が予知夢で、どの夢がただの夢なのか、見当がつかなかった。いつ起こるのかも分からないから、予習のしようがないのだ。

 たとえその場面に出くわした瞬間気づいても、予知夢の通りになるよう俺は動くべきなのかとか、予知夢の通りに話すべきなのかとか、考えあぐねいでいた。
 この地味すぎる予知夢で人生が左右されるか怪しいところではあるが、これが天からの啓示だったら、従わなかったら不幸に見舞われるんじゃないかと、苦悩した。

 最終的には考えるのがめんどくさくなってきて、その場の流れに身を任せた。そう考えるようになってからは、あの予知夢はいつ来るんだろうとワクワクしている自分がいた。
 まだまだ現実になっていない予知夢があるかもしれないし、ないかもしれない。はっきりしていることがあるとすれば、俺は予知夢を見ることを楽しんでいる、ということだ。

 俺は夢を見てる。

 今度はいつ、あの夢が現実になるのかを……。

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國灯闇一
未熟な身ではありますが、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。