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【短編小説】A.アイデンティティ

 暮れなずむ茜に染まる校舎を背にして校門を抜ける。今日もかったるい授業を終えて、週末の始まりに胸を弾ませる声を耳にしながら道を歩いていく。
 3月も終わりになるが春は遠い。差し当たって防寒アイテムはまだ外せない。そんな寒い季節だというのに、ワンピース姿の彼女は平然としている。彼女の名はスクール。人工知能だ。
 前を歩く金居英勇(かないえいゆう)と真登逢菜(まとあいな)には可哀そうとか、お前の無頓着さは尊敬に値するなどと薄情っぷりをけなされている。ホログラムで投影されている人工知能に衣替えは不要だ。
 見た目こそ違いはあれど、逢菜と勇の前にもスクールがいる。逢菜のスクールは男性型。長い黒髪に、それなりの筋力を備えている細身の体。しかもSPのような黒服を身に纏っていた。
 一方、勇のスクールは女性型。顔と身長は変更不可の仕様のため、俺のスクールと顔は同じ。しかし言われないと分からないくらい全体的に違う。白のトップスとシックな紅いスカート。艶やかな金髪のセミロング。癒し系と称されるゆるふわ雰囲気を放っている。このように、スクールには着せ替え機能がある。そして、性癖が出てしまう要素を兼ね備えているというわけだ。
 俺は隣で歩くスクールを盗み見る。腰まで下ろした赤い髪、絹のように白い肌、一重の目元とすっきりした鼻筋、薄い唇。服装髪型は初期設定のままだ。

 使用者の習熟度に合わせて着せ替えの種類は増えていく。だが表情や言動は別で調整しなければならない。使用者がスクールに手本を見せたりして覚えさせるのだ。
 誰もがスクールとの交流を楽しみながら勉学に励んでいる。スクールが教育現場に導入されて以後、日本の教育評価は上昇。教育特化型の人工知能導入は、世界でもメジャーになっていた。

 スクールが俺の視線に気づいたらしく、不意に視線が交わる。
「どうかされましたか。風吹(ふぶき)」
「あ、いや……」
 動揺して視線が泳いだ。勇のスクールに目を留め、前から疑問に思っていたことをこの機会に――見惚れていたなんて気恥ずかしいことは言えないので聞いてみることにした。
「自分と同じ顔をしたヤツが周りにいるのって、どんな気分なのかなーと」
「私が作られた時には知らされておりましたので、情報と合致すると結しています」
 スクールは単調な声で答えた。
「……そうか」
 そういうことが聞きたかったんじゃないが、まあいいや……。

「風吹、明日補習だろ? 一緒に行こうぜ」
 勇は白い歯を覗かせる。
「2人とも明日補習かぁ。あたしも学校で自習しようかなー」
「逢菜はそんな勉強しなくてもいいだろ」
 俺は怪訝(けげん)な表情で投げかける。
「もうすぐ高校生だもん。次のテストもいい点数取りたいし」
 俺達は同級生で中2にあたる。だが逢菜は4月から高1になる。昔の日本では考えられなかった飛び級生徒があちこちにいた。クラスにも普通に小学生の子がいて、これが生意気なヤツだったら絡みづらっ! と敬遠されるかもしれないが、物腰の柔らかいできた子なのだ。庇護欲をそそられた連中はお兄さんお姉さんぶって世話を焼いている。
「終ったら3人でファミレスでも行くか?」
 逢菜は勇の提案に表情を輝かせ、「え、おごってくれるの!? ありがとー!」と勝手に話を進めていた。
「当然よ~。風吹なら『今日は祝ってやる! なんでもこいや!』って言えちゃう男気あふれたセリフをかましてくれるはずさ」
 全部押しつけやがった。
 俺は眉をひそめる。
「いち中学生に問答無用でおごらせようとするなよ」
「冗談だって。本気にしないの」
 逢菜は口角を上げておどけているが、半分は本気だったはずだ。
「でも少しくらい、祝ってくれてもいいんじゃない?」
 ほらきた。逢菜は猫なで声で甘えてくる。
 時々素直になる逢菜は苦手だ。ほんと敵わない。俺は目を合わせるのを嫌い、「高いのはやめろよ」と妥協する。
 逢菜は嬉しそうに駆けると、自身のスクールと並んだ。
「シギ、風吹が祝ってくれるって!」
 シギと呼ばれた男のスクールは、「良かったですね。逢菜様」と優しく微笑んだ。
「いやあー、これは焼けますなあっ!」
 余計なことを考えている勇に言い返すのも面倒なので無視する。 

「そうだ。お前進路希望調査票出した?」
 勇が真面目な話を振ってくる。
「……まだ」
 いま一番考えたくない話をされ、反応が遅れた。
「俺も。アーテナに決めてほしいけど、『英勇の決めることよ』って答えてくれねえの」
 勇はゆるふわスクールにジトみを携え視線を送るが、振り向いた本人は悪戯っ子のように微笑むだけだった。機械に手の平で転がされている勇は肩を落とす。スクールは進路や行動の決断を使用者に委ねてくる。便利なのかそうじゃないのかよく分からん。それがスクールだ。

 俺は自宅に戻り、スウェットに着替えソファに腰を落ち着けた。腕時計型のホログラム装置を操作して、頭を圧迫している問題を意識に提示する。目の前に出された進路希望調査票。初めて自分で行き先を決めることになり、俺は路頭に迷っていた。半年前から渡されているにもかかわらず、締め切り目前だった。
 一応、高校の評価レビューを見たり、友達に聞いてみたりしている。けど、俺は後回しにしていた肝心なことに気づいた。

 俺は進路希望調査票を閉じて、ぼうっとしていた目を移す。自然と目に留まるのはスクールの姿。見慣れているはずの手狭な部屋をうろついていた。本棚やギターをまじまじと見つめたり、ゲームで見た格闘モーションの再現を試みたり、やりたい放題だ。
「スクール、質問があるんだけど……」
 すると、モーションを解いて姿勢を正し、俺と相対する。
「答えられることであれば」
 スクールは凛々しく応じる。俺は少し考えて口にした。
「俺、なんで勉強してんのかな?」
 俺は劣等感に任せて吐き出す。
「俺、勉強苦手だし、自慢できる優れたところなんてない。いままではやれって言われたことをやってれば事は済んでた。でも勉強をしてる自分が、自分じゃない感覚があるんだ。これから何をしたいって問われても、ぼやけて現実味がない」
 俺はスクールの顔を窺う。スクールは黙々と視線で預けてくる。
 ただ不安を聞いて欲しかったのかもしれない。俺は、薄暗い路地でうずくまっている子供だった。
「勉強できない俺って、不良品なのかな」
 投げかけられたスクールは隣に座り、おもむろに口を開いた。

「私達は、人の学習意欲向上を図るために作られた人工知能です。意欲をもたらすには、原動力が不可欠です」
 スクールは淡々とした声で語っていく。
「統計に沿って学習プログラムを組めば解決すると、当初は思われていました。ですが、個という小さな単位では、傾向から導き出した予測結果に大きな誤差が生じるケースがあります。そこで私達は個に焦点をあて、試行・検証することにしました。風吹はどんな時に笑い、どんな時に怒り、どんな時に悲しみ、どんな時に楽しんでいるのか。私はいつも、風吹から学んでいます」
 スクールはこちらに目を合わせる。

「人間は感情の生き物です。勉強を楽しめることが最善」
 俺は表情を沈めてぼやく。
「勉強を楽しめって言われて、楽しめたら苦労はしない」
「人は好きな事柄について能動的に知ろうとします。しかしそこに多くの処理プロセスが必要だと分かったり、報酬を得るまでの時間が長いと、たとえ好感情があっても諦めるケースを確認しました。更に生を受けて長いほど、新鮮な刺激は少しずつ減っていきます。すると平板化した感覚が長くなり、刺激を獲得する方法を探そうとします。人は多くの手間を嫌う傾向にあり、一度でも手間が必要と断定された時、再検討されることは難しくなります」
「勉強は手間がかかる。そう結論づけた俺に再編集させるためには、我慢するしかないってことか?」
 スクールは頭を横に振る。
「人は求められたり、何かを手に入れたくなると、自ら学んでいます。現に風吹は、積み重ねた行動と結果に対し、検証を試みています。では、なぜ風吹はそう思ったのでしょうか。いま、風吹は学んでいる最中にあると推察します」
 俺はこんなにスクールを見ていたことがあるだろうか。俺と過ごしてきたスクールは、何を手に入れたのか。一度も考えたことはなかった。産まれた人に必ず配布されるスクール。ずっと疑問だった。学業を修了してもスクールを側に置こうとする人の気持ちが。一生を共にする選択をしたのは、スクールから自分を学びたいから?

「好きなことと紐づけして、勉強すれば捗(はかど)るって?」
「はい。好奇心の赴く事柄について調べていくと、理解の難しい場面に出くわすことでしょう。そしてどう選択するのか。理解するために何が必要かを考え、情報を集めて知る。好きな事柄をより深く理解できる体験を得るでしょう。その過程で目標が明確になっていく。直ちに目標に具体性を持たせる必要はありません。いまは漠然としていても理解する力をつけていくうちに、具体性を帯びていくものです。そうして、関心は広がるのではないでしょうか?」
 好きなことを学ぶために勉強する、か……。結局、悩んでてもしょうがないんだな。
 体から力が抜け、思わず笑みが零れた。
「とりあえず、やってみる」
「はい」

 気負っていた自分から脱したせいか、興味本位でスクールに聞いてみた。
「スクールは何かしたいことはあるのか?」
「私は風吹の学習意欲のこ……」
「それ以外で!」
 すると、スクールは珍しく逡巡した。
「そうですね……」
 数秒の後、スクールは小さく笑った。
「私も、これから考えてみたいと思います」
「そっか。付き合うよ」
「ありがとうございます。風吹」
 俺は学んでいく。スクールと一緒に……。

未熟な身ではありますが、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。