短編小説 『ガールフレンド』
この小説は杉本しほさんとのコラボ小説です。
コラボテーマは「踊り狂うパスタ」
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今日の絹子さんはいつにもまして無口だった。
けれど眼球だけはいつにもましてぐるぐるとしていた。その視線の先には蛍光灯と逢瀬を繰り返す蛾がいて、時々鱗粉がちらちらと光る。
おおよそ女の子らしくない私の家に来るのは、いつだって絹子さんだった。
しかし今日はあんまりにも無口が過ぎる。
私は冷蔵庫から缶ビールを二本、手に持ってローテーブルを挟んで向かい合う。
一本を絹子さんの方に置くと、彼女はそれをしばらく黙って眺めた。
随分と神妙な面持ちで、銀色の缶を撫でたり、プルタブをかりかりと引っ掻いていたけれどやがて黙って私の方に押し返した。
「飲まないの?」
私は自分の分に口をつけた。
絹子さんは黙って自分の口を指さした。
「ごめん。よくわかんない」
「口内炎がね。出来てしまったんですよ。歯ブラシのね。操作ミスで」
入れ歯を外したうちの祖父のようにふごふごしながら、絹子さんがそう言ったものだから、私はこの世の終わりみたいな顔をして深い溜め息をついてあげた。
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誰もいないキッチンで、二人分の夕食を作っていると、何故だかそれ自体がひどく不条理なことに思えてくる。
私は絹子さんが手を付けなかったビールを飲みながら、鍋の水がお湯に変わるのを待った。
絹子さんは近くのドラッグストアに薬を買いに行った。
口内炎に効く薬なんてあるのだろうか。いやあるのだろうけれど、そんなにすぐに効くものなのだろうか。
水がお湯に変わるのを待つ。
お湯に変わる水なんてあるのだろうか。いやお湯にはなるのだけれど、お湯だって水じゃないのだろうか。
私は冷蔵庫から三本めのビールを取り出して本格的に思考を濁らせることにした。いつだって冷静な脳みそじゃ生きにくいのだ。
少しばかり混濁としている位が丁度いい。
私の思考がぐらぐらとしてきたのと同じくして、鍋の水もぐらぐらと怒るものだから、なだめるように二人分のパスタを入れてあやしてあげた。
パスタっていうのはどうしてこんなに細いのだろう。
一本一本をぽきぽきと折っていく時の音がすごくたまらない。
私の骨もこんな風に折れてくれないだろうか。
いやそれじゃあちょっと困るな。
絹子さんのこと、抱っこしてあげられないや。
ぐらぐらしているお湯の中で、段々としおらしくなっていくパスタをじっと見守ってあげる。保母さんの気持ちってきっとこんな感じだ。
ぐらぐらぼこぼこと沸き立つお湯の音楽に合わせて、パスタが上に下に踊っている。時々興奮しすぎたのか、鍋から飛び出しそうになるくらい一心不乱に踊っている。ねえ君たち、これから私と絹子さんに食べられちゃうんだよ。絹子さん口内炎酷いらしいから、すんなり喉を通ってあげてね。お願いだよ。
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絹子さんが帰ってきた。
随分と時間がかかったなと思い、玄関を見てみると何故かドラッグストアの向かいにあるレンタルショップの袋も提げていた。
「借りてきた。見よう」
相変わらずふごふごしながら、ちょっと得意げな笑みを浮かべて私に袋を差し出した。
「食べながら見ようか」
私の提案に絹子さんは黙って頷いた。
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絹子さんが借りてきたのは古いSF映画で、私が作ったのは白いクリームパスタだった。
家にフォークが無かったので、二人して箸で食べた。
絹子さんは私の予想通りパスタを一本一本食べた。
さっきまで鍋の中で踊り狂っていたパスタはホワイトソースという伴侶を見つけたからか皿の上で随分と大人しかった。人間も結婚するとみんなこうなってしまうのだろうか。パスタは特に抵抗することもなく絹子さんの口の中に吸い込まれていった。
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映画を見終わると特にやることもなくなったので、私は絹子さんの足にペディキュアを塗って遊んだ。その間絹子さんはずっと私の髪の毛を弄り回している。
「糸子ちゃんのさ。髪ってね。何だか不思議。パスタみたい」
それは褒めてくれているのだろうが、ちょっと釈然としない。
相変わらずふごふごしてるし。
「食べちゃいたいよね。今お腹一杯だけど。口内炎も痛いし」
絹子さんは物騒なことを言いながら、私の髪を指でとかし続けた。
私があんまりにも派手な色で塗ってしまったものだから、絹子さんは少し不機嫌になった。
さっきまで天井あたりにいた蛾がこぼす鱗粉みたいで綺麗だよ、と言うと納得してくれたけれど。
私の家のベッドはシングルなので、仕方なく身を寄せ合って寝ることにした。
「糸子ちゃん」
絹子さんが暗がりで私の手首をさすった。
そこにある傷跡を何度も何度もさすった。
「絹子さん」
私達は名前ばかり呼び合って、言いたいこと何も言わないで、眠気が溶けて身体を包んでいくのを待った。
絹子さんが来るたびに、私はもう少し大きなベッドを買おうと思う。
思うだけで買わないのは、きっと私の我儘だ。
意識は少しずつ遠くなっていった。
ー了ー
杉本さんお声かけて頂き嬉しかったです。
速攻でこのテーマを考えついたしほさんは天才だと思いました。
ありがとうございます。
ここまで読んで頂いた方もありがとうございました。
貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。