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温泉街にて

秋の空が高くなるのは、夏の暑さがまだ恋しくて、太陽に近づこうとしてるからだと、そう思っている。

十四番線の特急が、密集した建築物の合間を縫い、やがて田畑の中にまばらな家屋を置く郊外を抜け、切り崩した山間の黄緑を走る。
八月の最盛に訪れた温泉街に、二ヶ月後にもう一度来たのは何の因果か。
たぶん理由を探せば陳腐になる。
理由や理屈を求めない方が美しい物事はきっと存在する。

連れ立った友人は、温泉へ入ることに酷く緊張していたようだった。
気づかないふりをすることが優しさなのかは未だにわからない。
けれど折角夜空の下で温泉に浸かっているのに、僕ら二人眼鏡してないから全然見えないやって笑い合っていた。
それだけで充分な気がした。

真面目な話はし過ぎないに限る。
というのが僕の持論。
もしかしたら彼は何か話したかったのかもしれない。
僕があんまりにふざけたことばかり言うものだから「こんな人間にはなりたくない」と思ったかもしれない。
湯畑の正体、金星の光、自身に潜っていくことの大切さ、薬の効果、歴史について、文学の解釈。
深刻な話ではない。けれど取るに足らない話でもない。
そういう話の積み重ねで、僕らは生きている。

旅行の合間に音声配信もしたけれど、うっかりすれば真面目な事を話そうとする自身をお酒で濁す。
一分に三回はつまらない冗談を言うと評された。
間違ってはいない。
友人が寝たあと、広縁の椅子に腰掛けながら考えた。
真面目とはなんだろう。
正直とも真剣とも違う。
自身の仕事について話す時の彼は、真面目だったし真剣だった。
その言葉や態度を、僕は美徳だと思う。
空の高さが空気中の水分量と関係すること、空の色は光の波長や反射が関係することについて話す時も、やっぱり彼は真面目だったし真剣だった。
世界のあらゆる事象には定理があり、理論があり、理屈がある。
彼や、或いは彼の中の人も、きっとそういうことが好きなのだ。
冒頭に書いた一文は、そんな彼に対して僕が言った。
僕は空想や幻想じみたことが好きなのだ。
誰かとの好嫌や対比には、貴賤も上下も存在しない。
だから僕らはみんな安心して、色々なことを話す。
そうであって欲しい。
友人が静かに眠る中で、僕は一人画面の向こうの人へ音楽を流し続けた。

僕たちが知っている世界の領域は、世界なんて言葉を使うにはあまりにも狭い。
普段通る道を一本外れれば、そこにも道があり、その道沿いにも誰かの生活が存在している。
この温泉街にも、ここに住む人がいて、商店があり郵便局があり学校がある。
駅に設置された周辺地図を見ながら、友人とここで暮らす人のことを少しだけ考えた。
遅延していた帰りの上り電車を待つ人で構内は溢れていたけれど、そんなことを考えていたのは僕ら二人だけだったように思う。
上り電車より少しだけ早く運転再開した下り電車からは、二三人の学生が降りてきた。その一人は学ラン姿に大きなマフラーを首に巻いていた。
この土地ではもう冬の様相なのだ。
僕の住む土地よりも季節が少し早く進んでいる。
そう思うことにした。
例えその学生がただ寒がりなのが理由だったとしても。
理由や理屈を求めない方が美しい物事はきっと存在する。

終点の上野に着く前に、友人とは別れた。
彼はその足で仕事へと向かった。

僕は買ってきた土産を渡すべく、都内に住む友人の元へと向かった。
駅前の居酒屋には、自分が暮らす世界の空気がきちんと満ちていた。
世界に区切りをつけた方が、旅をすることへの尊厳さが損なわれないような気がする。

秋の空が高くなるのは、夏の暑さがまだ恋しくて、太陽に近づこうとしてるからだと、今でもそう思っている。
同時に、空気中の水分量だとか、光の波長についてをこれから僕は思い出すだろう。

そういう旅だった。


貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。